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令和3年度エイジレス章及び社会参加章伝達式

ページID:0055863 更新日:2022年11月10日更新 印刷ページ表示

内閣府では、年齢にとらわれず自らの責任と能力において自由で生き生きとした生活を送り、社会参加活動を積極的に行っている高齢者の個人・グループ等を毎年広く紹介しております。

令和3年度は、郡山市から「影山 ハヤ 様」、「遠山 幸光 様」、「橋本 文男 様」の3個人がエイジレス・ライフ実践事例に、「郡山市富久山郷土史研究会」、「緑ケ丘東一丁目町内会ほのぼの交流プロジェクト」、「三穂田地区ボランティア連絡会」の3団体が社会参加活動事例に決定され、品川市長より書状と盾の伝達式を行いました。

なお、郡山市から「エイジレス・ライフ実践事例及び社会参加活動事例」の決定を受けた個人・団体は、令和3年度現在個人17人、団体20団体です。

令和3年度伝達式

令和3年10月5日(火曜日)市役所本庁舎正庁において、伝達式が行われました。

受賞者・団体活動内容

エイジレス・ライフ実践事例

影山 ハヤ 様

影山ハヤ

平成9年から片平地区保健委員を令和2年度まで23年間務めた。郡山市農業委員を9年、JA福島さくら郡山地区女性部片平支部支部長を20年以上に渡り現在も続けて務めている。さらに平成11年からは片平ラブリーフラクラブの代表として、クラブのメンバーをまとめている。また、3年前からは片平歴史の会にも参加し片平地区の歴史に新たな発見を見出し意欲的に参加しているなど何事にも意欲的であり、新しいことにチャレンジしようという精神は80歳を目前にしても衰えることなく続いている。

遠山 幸光 様

遠山幸光

定年退職後は地域のために貢献したいという思いから、地域の様々な団体の役職を引き受け、現在に至るまで継続して活躍している。また、逢瀬地区明るいまちづくり推進委員会地区委員長時代には、県中建設事務所からの花の苗木の提供を申請し、県道の美化運動に積極的に関わることで、地区の花いっぱい運動の大本を創始された功績は大なるものがある。地域の老人クラブでの活動でも、ゲートボールコーチの役割やコートの整備などを先頭に立って行い、会員の親睦を図っている。

橋本 文男 様

橋本 文男

現役時代から地元のソフトボールや野球チームの指導者として活躍していた。退職後に老人クラブ入会し、その経験を活かして体育部長となりスポーツ大会やゲートボール大会のリーダーとして運営に携わっている。平成10年から郡山市交通安全協会大槻支部に入会し学童の安全確保のため、毎朝登校時の補導を行っている。現在は副会長として地域のために尽力している。さらに市老人クラブ連合会大槻町長寿会会長として、地域の小学児童と昔遊びを通じ世代間交流を図っている。

社会参加活動事例

郡山市富久山郷土史研究会

郡山市富久山郷土史研究会の画像

地域の史跡・名所を残すことが活動の起源で、郡山合戦と呼ばれる芦名軍との戦いで伊達政宗の代わりに亡くなった伊東氏の慰霊碑が昭和45年に日吉神社に移された時から毎年10月27日には供養祭が開催されており、研究会の主たる活動の一つになっている。もう一つの主たる活動である「新春かるた大会」は毎年1月の第3日曜日に開催されており、令和3年1月で第50回を数えている。研究会が手書きで作成した郷土史かるたは全国的にも有名で、小・中学生、一般の方総勢100人が参加する大会となっている。

緑ケ丘東一丁目町内会ほのぼの交流プロジェクト

緑ケ丘東一丁目町内会ほのぼの交流プロジェクトの画像

新興住宅地の町内会で高齢者の交流・通いの場としての集会所の建設を契機に、「いきいき百歳体操」を開始し体操後の茶話会も実施。高齢者のみの世帯が増加し、そのバックアップの必要性から病院付添い、ゴミ処理等をする「お助け隊」活動の実施。新型コロナでも三密にならない活動を模索し、藪となっていた市緑地と民有地(合計約3,000坪)を利用しミニ花見山を目標に活動することで町内の環境美化に取り組む「ほのぼの緑地」活動に取り組んでいる。

三穂田地区ボランティア連絡会

三穂田地区ボランティア連絡会の画像

地区社会福祉協議会の主催事業をサポートするのを主な目的に設立され、「一人暮らし高齢者招待昼食会」や「高齢者交歓のつどい」での手作り食事の提供、高齢者の接待などを行っている。実行委員として地区の敬老会運営に関わり、祝品の受け渡し、案内誘導、受付など引き受けている。地区で立ち上げた「みほたカフェ&マーケット運営協議会」で、毎月、地区内の高齢者を招待して無料でコーヒーなどを提供しており、そこでの給仕、話し相手など「カフェボラ」として支えている。