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【博物館コラムVol.3】~町B遺跡出土土製品(愛称「じょもにゃん」)の見方~
郡山市歴史情報博物館の垣内です。今回は、「じょもにゃん」の愛称がつけられた町B遺跡出土土製品について紹介します(写真1)。
写真1 町B遺跡出土土製品
この土製品は、縄文中期後葉から晩期を中心とする集落遺跡である町B遺跡(郡山市西田町鬼生田)から出土しました。縄文後・晩期の遺物包含層から出土しており、同時期の遺物とみられます。2019年に福島県立博物館の企画展で「キャッチーに」紹介されたことで「猫に見える土製品」として一躍有名になりました。2023年には、愛称が公募され、「じょもにゃん」に決定しました。郡山市歴史情報博物館でも、開館式典の記念品として「じょもにゃん」の置物が配られたり(写真2)、博物館の外構に型押しされたり(写真3)と、近年の猫ブームを背景に(?)大活躍のようです。
写真2 「じょもにゃん」の置物 写真3 博物館外構の「じょもにゃん」
そんな中で身も蓋もないことを書くのは気が引けますが、いわゆるイエネコが日本に流入したのは平安時代以降のこととされます。近年では、弥生後期のイエネコとみられる事例も報告されていますが(納屋内・松井2011)、この土製品がつくられた縄文後・晩期にイエネコはいなかったようです。発掘調査報告書では「使途不明の土製品」として報告されており(財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団2005)、実際の用途やモチーフはよくわからないのが正直なところです。
では、なぜこの土製品が猫に見えるのでしょうか。写真1と写真4を比べてみましょう。写真1は写真などでよくみる角度から撮影したものです。いっぽう、写真4は約45°回転して俯瞰ぎみに撮影しました。この土製品を「猫」に見立てた場合の「耳」にあたる部分に着目してみます。この突起は写真4をみるとわかるように円錐状です。実際の猫はどうでしょうか。写真5のように、顔の正面側が平らなのがわかります。また、実際の猫の横顔をみると、やはりこの土製品とは形が大きく異なります。これは私見ですが、「じょもにゃん」という愛称をみるに、私たちが「猫に見える」と感じる見え方の背景には、ゆるキャラなどの影響が考えられるのではないでしょうか。この土製品が「猫」に見えるのは、写真で見たときの平面的なイメージと、現代的なものの見方からの類推によるものといえるかもしれません。
写真4 別の角度から見ると…? 写真5 猫の横顔(2025年5月23日棚倉城跡にて筆者撮影)
平面の「じょもにゃん」像ではなく、立体の「じょもにゃん」像を獲得するには、実物を観察することが大切です。そのため、写真ではわからない情報を提供できるという点は、博物館の意義のひとつといえるかもしれません。また、近年では、デジタル技術によって、展示ケース越しでは通常みることのできない角度から、だれでも資料を観察できるようになりました(写真6)。ちなみに、郡山市歴史情報博物館は、デジタル技術の積極的な活用がアピールポイントのひとつです。
写真6 郡山市歴史情報博物館の3Dコンテンツと「じょもにゃん」
このように、「じょもにゃん」は猫ではない、という説明をしてきました。しかしながら、このことは、「猫に見える」という「見方」そのものを否定しているわけではありません。博物館資料がもつ文脈は、必ずしもひとつではないということです。同じ博物館資料であっても、個々人によって、学問的な見方だけではなく、町おこしや伝統の継承、あるいは個人的な体験・記憶と密接に結びついている場合もあります。その場合、それぞれにとって「博物館資料」の位置づけはおのずと変わってくるでしょう(そもそも、「博物館資料」としての見方自体が自明でないのかもしれません)。こうしてみると、この土製品には、「猫に見える」という面白おかしさだけではない、別の奥深さがあるように思えてきませんか?
参考文献
財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団2005『阿武隈川築堤関連 町B遺跡』郡山市教育委員会
納屋内高史・松井章2011「カラカミ遺跡出土の動物遺存体(まとめにかえて)」『壱岐カラカミ遺跡|||―カラカミ遺跡第1地点の発掘調査(2005 ~ 2008 年)』