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【博物館コラムVol.6】皆既月食と月に関係する民俗のお話

ページID:0160339 更新日:2025年9月18日更新 印刷ページ表示

郡山市歴史情報博物館の豊田です。突然ですが、皆さんは今月の8日に見られた皆既月食はご覧になったでしょうか。深夜の天体現象でしたので、見られなかった方もいたかもしれません。

そもそも月食とは何かという事で辞書を引くと、「地球が太陽と月の間にきて一直線に並び、太陽の光をさえぎるため、月の光る面が一部また全部にわたって欠けること」〔広辞苑 第七版〕と書いてあります。

国立天文台によれば、日本全域で皆既月食が見られたのは、2022年11月8日以来、約3年ぶりのことだといいます。皆既月食は8日の1時27分に始まり、月が完全に地球の影に入るのは2時30分から3時53分まででした。月食の経過時刻は全国どの場所で見ても同じのようです。

下の画像は郡山市にある高柳電設工業スペースパークの職員の方が撮影した皆既月食の様子です。博物館の隣にある公会堂と一緒に撮影しています。

9月8日の皆既月食の様子
​皆既月食の様子(午前2時49分撮影 画像出典:高柳電設工業スペースパーク)

今回のコラムは、そんなタイムリーな月に関係する民俗について少しお話します。

月に関係する行事と言えば月見があります。秋を代表する行事ですが、旧暦の8月15日と9月15日が当たります。市内の湖南町赤津地域では8月15日を「芋名月(いもめいげつ)」、9月15日を「豆名月(まめめいげつ)」と呼んでいました。8月の名月には里芋・アケビ・サトカラ(里芋の茎)・栗・茄子・胡瓜など全部で15品目を供え、9月の名月には莢豆・牛蒡・人参・茸・秋野菜など13品目を供えました。

月見に関しての伝承では赤津では「先の名月が雨であると秋上げが悪い。後の名月が晴れると来年の作柄がよい」といわれ、中田町木目沢では「豆名月に雨が降ると来年の麦が不作、芋名月に雨が降ると来年の米が不作」といわれていました。

また、名月に供えたご馳走をとってもよい、供え物がとられると縁起が良いという風習も見られ、三穂田町や大槻町には「一(ひと)すがいごめん」というものがみられました。これは藁の一(ひと)すがい分の作物は、名月の日は他人の畑からとってもよいという風習でした。

 

もう一つ紹介するのは月待ちです。月待ちとは、特定の月齢の夜に人々が集まって飲食をともにしながら過ごす行事のことを言います。月齢によって様々な月待ちがあり、例えば十九夜には十九夜講といい、女性たちが集まる行事がありました。

また、二十三夜は「三夜さま」「二十三夜講」などといい市内でも多く行われ、伝承が残っています。湖南町では牡丹餅を供えて月待ちをしていました。元々は毎月行っていたのが変化して正月・5月・9月など特定の月に行っていたようです。

 月待講の内容も男性だけの場所や女性だけの場所もあり、様々な形態だったようです。各地の話も残っており、日和田町の二十三夜講は7人の青年で講を作り、仲間に変事があると手伝いをするなど、信仰のほかに相互扶助的な役割をもっていたといい、木目沢では一戸一人が集まり、年長者が音頭を取り光明真言を三三回唱えていました。

 「毎月の二十三夜講に牡丹餅をあげて拝むと金に不自由しない」(三穂田町)「正月二十三夜のわらだに牡丹餅をあげて、三夜様を拝むと蚕が豊作になる」(西田町)などの俗信もみられました。

 月待ちでは、月待ちの行事を行った人々が供養のあかしとして石塔を造立し、それらは月待塔とも呼ばれています。市内には多くの月待塔がみられます。下の画像は今回ご紹介した二十三夜講の月待塔です。

如宝寺の二十三夜塔
​二十三夜塔(2025年9月11日如宝寺にて筆者撮影)

 月に関係する民俗について少しだけ紹介しましたが、月だけではなく自然にかかわる行事は他にも見られます。今後も博物館コラムなどで紹介していきたいと思いますので、ぜひご覧ください。

 

参考

  • 国立天文台 ほしぞら情報2025年9月 最終閲覧日2025年9月10日
    (https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2025/09-topics01.html5)
  • 郡山市編 1969年『郡山市史 第7巻 民俗』
  • 郡山市教育委員会編 1969年『湖南の民俗』
  • 山本 明 1978年『ふくしまの年中行事』福島中央テレビ