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常設展示

ページID:0127784 更新日:2025年3月3日更新 印刷ページ表示

常設展

テーマ展示室では、他地域との交流が郡山にもたらした「ものと文化」、交通の要衝として発展してきた郡山の「みちとまち」を特集しています。
常設展示室では、郡山の歴史を原始・古代・中世・近世・近現代にわけ、通史として展示しています。

テーマ展示室(ものと文化)

交流によって郡山にもたらされた「もの」をテーマに、郡山を代表する6つの資料として、火焔型土器・小型把手付壺・二彩浄瓶(複製)・蒔絵神馬図額(複製・復元)・高倉人形・トランシット・レベルを展示しています。
国指定重要文化財「二彩浄瓶」と、そのルーツをさぐるデジタル映像は必見です。
テーマ展示室(ものと文化)

テーマ展示室(みちとまち)

郡山はその地理的な特徴から、東西南北の交通の要衝として発展してきました。デジタルモニターのインタラクティブ要素を通して、郡山の歴史が時代を超えて「みち」とともに展開してきたことを体感できます。
テーマ展示室(みちとまち)

常設展示室(原始)

原始の郡山では、後期旧石器時代から人類の活動がはじまりました。郡山では縄文時代早期に縄文文化の要素が出そろいます。縄文時代中期になると、気候の温暖化が進み、遺跡数が急増しました。郡山を含め、東北地方の弥生文化は縄文文化の要素を色濃く残すものでした。
テーマ展示室(原始)

常設展示室(古代)

古代の郡山には、中央と地方の関係性が芽生えました。古墳時代の郡山には、大小数多くの古墳が造られるとともに、それを支えた拠点的な集落が存在しました。中央集権的な律令体制下で古代の安積郡が成立すると、郡山に郡衙がおかれます。郡衙周辺にはその機能を補完する特徴的な集落が営まれました。
常設展示室(古代)

常設展示室(中世)

郡山の中世は、平安時代の終わりごろから、1590年の奥羽仕置までにあたります。奥州合戦後、伊豆の伊東氏(安積氏)が安積郡に所領を得ました。南北朝時代には宇津峰城が東北地方の南朝方の拠点となりました。室町時代、足利一門の足利満直が郡山に下向しました。戦国時代の郡山は各勢力の境目として合戦の舞台となりました。
常設展示室(中世)

常設展示室(近世)

近世の郡山は、豊富な地方文書から読み解くことができます。奥羽仕置後、郡山には会津の蒲生氏・上杉氏の支城が置かれました。江戸時代の郡山は、二本松藩・守山藩などの領地になりました。奥州街道の通る要衝として栄えた郡山は、1824年、正式な宿場町へ昇格しました。戊辰戦争の戦火により、郡山宿は大きな被害を受けました。
常設展示室(近世)

常設展示室(近現代)

近代以降の郡山は、安積開拓に加え、東西方向を結ぶ鉄道の起点となったことで大きく発展します。郡山は戦時中に軍都指定を受け、太平洋戦争時に空襲の被害を受けました。戦後、新産業都市の指定や新幹線・高速道路の開通を経て、郡山は東北地方有数の経済都市となりました。
常設展示室(近現代)