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column001【大槻俊介氏】

ページID:0040649 更新日:2021年12月2日更新 印刷ページ表示

001 私と音楽と郡山 

大槻俊介氏の顔写真

皆さん、初めまして。私は郡山市音楽の日実行委員会 事務局長を務めています、大槻俊介といいます。

私は安積町で生まれ育ち、祖父がシャンソン、祖母は合唱、父はトロンボーン、母はエレクトーンとピアノを嗜む家で育ちました。ですから必然的に音楽は近くにあり、小学生の時にピアノやトロンボーンに一通り手を出したのち、中学1年生の時にドラムと出会いました。それ以降ドラム一筋で音楽活動を行っていましたが、そこで感じた事は「中高生の軽音楽活動に対する世間の目は冷たい」という事でした。スポーツでも、音楽でも一生懸命に打ち込む事は同じはずなのに、という違和感の中で、それでも多くの仲間と音楽を楽しんでいた事を今でも昨日の事のように覚えています。高校を卒業して大学進学の為に上京し、人より一年だけ長く大学生活をエンジョイしたのち郡山へ戻る事を決めました。そして郡山で就職して3年が経つ2008年に、郡山市で音楽都市宣言が議決されたのです。

2011年、私は父と先輩の勧めがあり(公社)郡山青年会議所に入会しました。会員は地域の明るい豊かな社会実現のため、昼夜を問わず奔走しています。東日本大震災発災直後に、各地避難所へ全国からの支援物資を届けてまわった事は生涯忘れない出来事です。その後も様々な角度から地域の発展を考えている仲間の姿に感化され、私も自分が地域の役に立てる事はないかを考えるようになりました。そこで、この楽都郡山のために「自分の出来ることをやろう」と決めたのです。中学生の時に感じた軽音楽の立ち位置を変えるため、ジャンルを問わず誰もが音楽を楽しみ、またプレーヤーを応援できるまちになって欲しい、そんな想いが今の原動力となっています。

そして、今年は郡山市と共催で、「郡山市音楽の日」という事業を立ち上げました。一か所で行うイベントではジャンルも限定される、そして私たちがやらなければ無くなってしまう、そんな事業では続かない。だから全てを逆の発想で行う事にしました。皆さんが普段やっている音楽活動を、同時に市内中で開催しましょう。郡山中が音楽で溢れる一日をみんなで創りましょう。そう投げかけると、多くの皆さんが賛同して下さり開催に至りました。是非皆さんも10月6日に開催される「郡山市音楽の日」の各会場に足を運び、音楽を心ゆくまで楽しんでください。

音楽は感情を増幅させ、行動力すら強める力があります。そして「10万人のコーラス運動」でまちの未来を切り拓いてきた私たち郡山市民は、誰よりもその遺伝子を受け継いでいるはずです。音楽を力に変え、郡山の未来のため一人ひとりが行動できるまち、それが私の大好きな郡山の理想です。今行動しなければ未来は決して変わらない。だからこそ小さくても一歩を。そう信じてこれからもチャレンジを続けていきます。

楽都郡山のイメージ図