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History 歴史
なぜ郡山市が音楽都市に?
荒廃と復興、そして音楽都市の産声
敗戦直後の郡山は、かつてないほどの困窮(こんきゅう)の時代を迎えました。
郡山は、安積開拓や安積疏水の開さくにより明治中期から戦前にかけて急速に工業都市として発達し、人口が急増し、さまざまな人々が集まったことから暴力団抗争が相次いで起こり、治安の悪いまちとして名前が全国に広まってしまいました。
その一方で、表現の自由の風潮が全国的に広まる中、郡山でも美術・演劇・音楽などの団体が結成されました。また、この時期には、「素人のど自慢大会」などが人気を集め、郡山でも町内会の演芸会などに多くの人々が参加し、開放的な音楽を楽しむようになりました。
こうした時代のなかで、郡山の音楽活動は盛んになり、音楽は戦災復興を目指す郡山市民の心の拠り所となっていきました。
音楽によるまちづくり~東北のウィーンへ~
昭和29年、本格的なオーケストラの演奏会を開きたいという市民の皆さんの想いが一大事業を成功させました。
この時代、郡山市には、オーケストラの演奏会ができる公共施設がありませんでした。
会場は、国鉄郡山工場の大食堂。
主催者であった郡山音楽協会と郡山青年文化協会のメンバーは、食堂の当日完全復帰という厳しい条件を受け入れ、縁の下の働きでこれを実現させました。
それまで、音楽会は、東北地方では仙台と福島と言われていました。
この演奏会の大成功を機に「音楽(文化)の途中下車」という合言葉が起こり、後に称されるようになった「東北のウィーン」の素地ができたのです。
市民の皆さんの熱い想いが実現させた郡山初の本格的なオーケストラ演奏会「NHK交響楽団公演」ここから音楽によるまちづくりが始まった…
変化したまちのイメージ
郡山では、合唱、器楽、学校音楽などの各分野での活動や“良い音楽を安く多くの人に”とのスローガンのもとで進められた勤労者音楽協議会(労音)の企画などにより、著名団体の公演や世界的な音楽会が続き、地方都市には珍しい動きとしてマスコミの注目を集めました。
そして、週刊誌などに掲載されたタイトルが、
「東北のシカゴから東北のウィーンへ」
「音楽都市 郡山」だったのです。
このような戦後の郡山の音楽活動は、昭和39年の「十万人コーラス」運動へと発展しました。
これは、毎月第3金曜日をコーラスの日とし、街頭でコーラスを歌い、広めるというものでした。
また、昭和40年には、「二十万人コーラス市内パレード」なども実施されました。
これらの活動は東宝映画から注目され、暴力のまちから音楽のまちへと生まれ変わる姿を描いた「百万人の大合唱」として映画化されました。
二十万人コーラス(麓山<はやま>公園)
映画「百万人の大合唱」
伝説のコンサート
オノヨーコさん
内田裕也さん
沢田研二さん
【協力】「Memorial One Step Festival 実行委員会」「DEAD FLOWER」1974年(昭和49年)
今や伝説となった、ある音楽イベントが、市民の手によって成し遂げられました。
それが、ワンステップフェスティバル<外部リンク>。<広報こおりやま:2008年9月号[PDFファイル/1.83MB]>
当時の日本では最大規模となる野外ロックコンサート。
実現したのは、20代・30代の地元の若者たちの情熱。このコンサートは、その後の日本のロックシーンに大きな影響を及ぼしたといわれています。
出演者は、内田裕也さん、かまやつひろしさん、つのだひろさん、上田正樹さん、沢田研二さん、山下達郎さん…。奇跡のメンバーといえます。
そして、トリを飾ったのは、オノヨーコさん。
この日のために作った新曲「夢を持とう」で、オノさんはこんなメッセージを送ってくれました。それは…
「一人で見る夢は夢で終わるけど、みんなで見る夢は必ず実現する」と。
そして、今
郡山市が音楽都市となった原動力は、こうした市民の方々の音楽を愛する力とこのまちを愛する力でした。
この郡山の音楽に込められ郡山魂を未来へとつなげるため、平成20年3月24日、郡山市は「音楽都市」を宣言しました。
そして、今、音楽によるまちづくりの新たなステージが開幕しました。
音楽都市宣言
美しいメロディー
心おどるリズム
音楽がまちにあふれ
人の輪が広がり心をつなぐ
私たちは音楽を愛し
人と人が織りなすハーモニーを奏で
明るい笑顔が輝く
魅力あるまち
“こおりやま”を創ります
「明日につなごう こころのハーモニー」
郡山市は、ここに「音楽都市」を宣言します。
平成20年3月24日
郡山市
一年を通して楽しめる音楽イベント
郡山市では、さまな音楽イベントを1年通して音楽イベントが楽しめます。
全国大会に出場した市内の団体や個人の方々が一堂に会する「ハーモニーコンサート」、フロンティア大使の本名徹次さん(指揮者)と有名なオーケストラによる楽しい演奏会「ふれあいコンサート」の開催に加え、「ホールコンサート」(毎月市役所などで行なう無料コンサート)や「四季の風コンサート」(四季折々の季節感を楽しめる若手音楽家による無料コンサート)、開成山公園野外音楽堂での演奏会(毎月開催)など市民の皆さんが気軽に楽しめるコンサートも行っています。
まちなかにも音楽が
まちなかでは、市民による音楽イベントが頻繁に開催され、道端には音をモチーフにしたイスやベンチがまちに彩りを与えてくれています。さらには、ライブハウスや生演奏を楽しめるお店など、音楽に気軽にふれることができます。
年 | 出来事 |
---|---|
昭和29年 | NHK交響楽団郡山公演開催(会場:国鉄郡山工場大食堂) |
昭和33年 | 東北一の設備を誇る市民会館誕生 |
昭和39年 | 「10万人のコーラス」運動はじまる |
昭和41年 | 「20万人コーラス」と改称 |
昭和47年 | 郡山市がモデルとなった映画「100万人の大合唱」公開 |
昭和49年 | ワンステップフェスティバル開催(会場:開成山公園) |
昭和55年 | 安積女子高(現安積黎明高校)が全日本合唱コンクールで2回目の金賞受賞以降34年連続金賞受賞(平成25年度現在) |
平成2年 | トップコンサート始まる(平成22年からハーモニーコンサート) |
平成8年 | ふれあいコンサート始まる |
平成17年 | まちなか音ステージ始まる |
平成20年 | 郡山市音楽都市宣言 |
平成23年 | 二分の一成人コンサート始まる |
平成26年 | がくとくんテーマソング「羽ばたけ!がくとくん」完成 ウィーン・フィル管弦楽団公演 |
平成28年 | 郡山市制施行90周年・合併50年記念委嘱作品「あれが阿多多羅山バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」完成、世界初演 |
平成29年 | 東京藝術大学と郡山市の連携事業「楽都郡山」の未来を担う青少年と指導者のための澤学長によるヴァイオリン公開レッスンと弦楽コンサート 郡山市フロンティア大使で作曲家の湯浅譲二さんを名誉市民とする |
平成30年 | 郡山市音楽都市宣言10周年 |
ダウンロード
- 広報こおりやま(平成15年1月号)【特集・音楽都市こおりやまが好き】[PDFファイル/1.94MB]
- 広報こおりやま(平成18年2月号)【今甦る 音楽都市こおりやまへの熱い想い】[PDFファイル/1.52MB]
- 広報こおりやま(平成20年5月号)音楽に宿る郡山魂を未来へ】[PDFファイル/1.78MB]
- 広報こおりやま(平成20年9月号)【音楽のパワー~ワンステップフェスティバル~】[PDFファイル/1.83MB]
- 広報こおりやま(平成26年11月号)【音楽はいつもチカラに…】[PDFファイル/8.32MB]
- 「音楽都市こおりやま」ポスター[PDFファイル/98KB]
- 音楽都市宣言ポスター[PDFファイル/425KB]