ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > ココカラこおりやま! > 注目!コンテンツ > Health Wave KORIYAMA > 【市制施行100周年記念特別版・郡山市いきいき100歳Vol.1】 絵画に書道、一杯のワインが潤いに。柔道8段の佐々木さん

本文

【市制施行100周年記念特別版・郡山市いきいき100歳Vol.1】 絵画に書道、一杯のワインが潤いに。柔道8段の佐々木さん

3 すべての人に健康と福祉を17 パートナーシップで目標を達成しよう
ページID:0123903 更新日:2024年10月4日更新 印刷ページ表示

佐々木 俊雄さん

 

笑顔の素敵な佐々木さん

 

 郡山市は2024年に市制施行100周年を迎えました。この「100」という数字に合わせ、Health Wave KORIYAMAでは、二人の100歳の方にお話を聞いてきました。お二人の生活からは、何歳になっても元気にいきいきと暮らし続けるヒントが見えてきます。今回は、郡山市朝日で趣味に没頭する佐々木俊雄さんのご自宅にお邪魔しました。

 

 

柔道に携わること86年。100歳で8段に昇段

 

 佐々木さんは1923年12月12日生まれの100歳。これまで大きな病気をしたことがないといい、ご自宅で元気に過ごされています。95歳のこれまたお元気な奥様と、明るい息子さん・娘さんと郡山市朝日のご自宅で出迎えてくださいました。

 

佐々木さんご家族
前列左から俊雄さん、奥様の岩子さん、後列左から息子の克人さん、娘のえつみさん

 

 若いころに比べると食は細くなっているという佐々木さんですが、苦手なニンジンを除きどんなものでも食べるといいます。日課は家族とたしなむ一杯のワイン。足取りはゆっくりながらもしっかりとしていて、補聴器を使いながら取材に応じてくださいました。

 

元気にインタビューに答える佐々木さん

 

 佐々木さんの元気の秘訣を聞くと、まず「長年続けてきた柔道」という答えが返ってきました。
 佐々木さんは郡山市で小学校の教員として勤めてきた傍ら、70年近く地域の子どもたちに柔道を指導してきました。40代までは選手として大会にも出場していて、全国大会で連続優勝した実績もあります。モントリオールオリンピックで銅メダルを獲得し、郡山市フロンティア大使を務める柔道家の遠藤純男さんは、遠藤さんが柔道を始めた当初からの教え子です。

 

4
2023年に開かれた佐々木さんの百寿を祝う会にて。右側が遠藤純男さん(佐々木さん提供)

 

 100歳を迎えても形の指導に入る佐々木さんの姿を見た遠藤さんの進言もあり、2023年の講道館特別審議会で7段から8段に昇格。黒帯のさらに上の、紅白帯を締めています。

 

8段の認定証
8段昇格の認定証

 

 息子の克人さんは「昔の柔道は、スポーツというより修行や鍛錬の一環だったようです。だから父のような柔道家は身体が強い。一緒に柔道をやっていましたが、父はものすごく足腰がしっかりしていて。高校3年生ぐらいまでは気を抜くとすぐに投げられてしまいました」と振り返ります。​

 

 佐々木さんの書斎に入らせていただきました。見回すと、かなりの多趣味であることがうかがえます。たくさんの書道用筆や絵筆、キャンバスに、ピアノや大量の本。リビングに飾られた掛け軸は40代で始めた書道の作品で、50代で始めた絵画は2023年に個展を開いたほどの腕前です。100歳のお祝いでいただいた胡蝶蘭の世話も、本で調べながら熱心に続けているといいます。

 

ご自身の作品の前で

 

 「好きなことをやっている時間は良いですね。いやなことがあっても、集中していると忘れてしまう。今は、前に描いた絵を直すので忙しいんです。人の作品を見るのも好きで、見たこともないようなものを描いた作品には特に惹かれます。甥っ子・姪っ子も絵を描くのですが、刺激になりますね。本当は音楽もやりたいんだけど、時間がなくて」

 

 娘のえつみさんによると、何かに熱中している時は声を掛けても気づかないことが多いのだそう。何歳になっても好きなものを見つけ、夢中になれる。そんな趣味への意欲と探求心が、佐々木さんの瞳の輝きとなっているのかもしれません。

 

娘さんと佐々木さん

 

柔道の教えを教育に。教え子が訪ねてくるのも楽しみ

 

学生時代の写真
学生時代の写真も大切に保管している

 佐々木さんは、当時日本領の樺太生まれ。太平洋戦争中は本州で陸軍航空隊員として従軍しました。戦後、離れ離れになった家族を探して縁のあった小野町へ。母親や姉と再会し、福島県での生活が始まりました。

 

 小野町では中等教育を受けられなかった人のための青年学校で教員を務めます。手紙の添削をすることもあったのだそう。教えることの楽しさを感じ、福島大学で教員免許を取得。26歳で小学校教員の道へ進みます。丸森村立(現郡山市立)安子島小学校や富田小学校、開成小学校などで定年まで教員を勤め上げました。

 

アルバムを見る佐々木さんと娘さん

 

 教員時代は、特に初任地の安子島小学校での生活が印象深いのだそう。地域の名物おばちゃん「3ばあ」に気に入られてピアノを寄贈してもらい、猛練習して上達したこと。学校が終わった後、夜になると子どもたちが「もっと勉強教えて」と教員住宅にやってきた日々。

 

 教員時代の教え子たちとの写真はアルバムに保管されていて、リビングには教え子のみなさんと撮った100歳祝いの写真が並びます。

 

教え子たちとの写真

 

「子どもたちには、私にできることを教えてきました。教員の前に、私は柔道家です。胸にはいつも『精力善用』(※)の言葉があります。自分の力を、相手をねじ伏せたり威圧したりすることに使わず、世の中の役に立つことのために使いなさいという意味です。礼に始まって礼に終わる礼儀作法や転び方など、怪我をしないように取っ組み合いで教えていく。そうしていると、うんと好かれて、友達になって遊びました。

喜久田町でバスと電車の事故に遭い、当時駅前にあった太田記念病院に入院したことがあります。その時、子どもたちが走ってお見舞いにきてくれたんです。うれしくてね、命の恩人でした」
※せいりょくぜんよう:講道館柔道の教えの一つ

 

 地域との関わりも評価され、退職後は大成地域公民館で勤務。公民館を辞める時には地域の方が送別会を開いてくれたといいます。教え子がご自宅を訪ねてくることも多く、どこに行っても慕われてきたことがうかがえます。

 

自分がやりたいことにどんどんチャレンジして

 

 佐々木さんのお宅は、郡山市役所北側にあります。市役所が現在の福島県郡山合同庁舎の建物から移設される3年前の1965(昭和40)年に建てたのだそう。​

「あの時代、安女(安積女子高、現在の安積黎明高校)から駅までは、華やかな街でした。安女からこっちは、人はまばらで、そんなに家もなかった。さくら通りからは直線距離で300mほどですが、この家を建てた当時はバスが走る様子や開成山公園の桜の木も見えたんです。何もないところだったんですよ」

 

 当時のご自宅周辺はほとんどが田んぼで、夏にはカエルの声が響いてホタルが飛び交うのどかな場所でした。市役所、そして郡山郵便局の移転に伴い、民家や商店が増えていったのだそう。約60年で、この地域の景色が大きく変わったことがうかがえます。

 

 移り変わる郡山の景色を見つめてきた佐々木さん。最後に、このまちをつくり、次世代につないでいく若い世代に伝えたいことをお聞きしました。

 

「みんな一生懸命やっておられると思います。自分が良いと思うようなこと、やりたいと思うようなことがあれば、どんどんチャレンジしてほしいです」

 

 その言葉には、好奇心が旺盛でどんなことにも本気でチャレンジする佐々木さんの思いが詰まっているような気がしました。

 

素敵なご家族と


<動画>ショートムービーをご覧ください。

2024年8月23日取材

Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所<外部リンク>
Movie by 杉山毅登(佐久間正人写真事務所<外部リンク>
​Text by 五十嵐秋音(マデニヤル<外部リンク>