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富田町の地名の由来

ページID:0006934 更新日:2021年12月2日更新 印刷ページ表示

「富田」の地名の起こりについては諸説あり、いずれの説についても伝承の域をでないため確かなものではありませんが、村人が田穀の豊かになることを祈願して村名にしたという説、江戸時代後期(1857年)に富田幹(とみたかん)によって記された音路太子堂の縁記により、奈良時代初期の元明天皇の頃(和銅年間<708~714年>)陸奥国安積の衛士・東安吉麿(あずまのあさまろ)の子の東巨麿(あずまのとみまろ)の時、荘園政治を立てて「臣田(とみた)」と呼び、これが「富田」に転化したという説、字諏訪内地区に祀る諏訪神社の祭神「武御名方刀美命(たけみなかたのとみのみこと)」にあやかって読み名から「富田」にしたという説などがあります。

音路太子堂の写真
音路太子堂

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