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三穂田町の地名の由来

ページID:0001991 更新日:2021年12月2日更新 印刷ページ表示

江戸時代から明治にかけて、この付近の村々は分合を繰り返していました。
明治22年に、下守屋と富岡と鍋山が合併して三つの村の和をとなえて「三和村」に、また、八幡と駒屋、野田新田、山口、大谷の各村が合併して、「穂積村」となりました。
昭和28年に町村合併促進法が公布され、町村合併の機運が高まり、昭和30年3月に三和村と穂積村、それに安積町から分離した川田地区の合併が決定しました。
新村名には、以前から区域内で称されていた「三穂田」が決定されました。
これは、各地名から一文字ずつ取ったもので、ここに正式に「三穂田」の地名が誕生しました。

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