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歴史が薫るまち田村町
大安場古墳(おおやすばこふん)
大安場古墳は古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と考えられますが、全部で5つの古墳からなり、1号墳・2号墳を含めた2.3ヘクタールが平成12年9月に国の史跡に指定されました。
大安場1号墳は全長83メートルと、東北地方で最も大きなの前方後方墳で、2号墳から5号墳は丸い形をした円墳です。
大安場1号墳は古墳の大きさと副葬品から、中通り地方の有力な豪族の墓と考えられます。また、ここからは緑色凝灰岩製の腕輪形石製品が出土しており、大和政権とのつながりを示す貴重な資料とされます。
問い合わせ
大安場史跡公園管理センター(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)
電話番号024-965-1088・ファクス番号024-965-1090
宇津峰(うつみね)
国指定史跡
宇津峰は雲水峰とも書き、雲水すなわち修験山伏の修行の山で、山麓には田村大元帥明王社の道場が数多くありました。
また、ここには、山域全体を利用した山城である宇津峰城もありました。(山頂には「雲水峰城址」という石碑があります。)
宇津峰城は、皇位継承をめぐり南朝と北朝に朝廷が分かれて争っていた南北朝時代に、南朝方の拠点として南奥州での激戦場となりました。
宇津峰城は、最終的には1352年5月に陥落しましたが、この篭城戦を指揮したのは後醍醐天皇の孫の守永王を奉ずる陸奥介兼鎮守将軍の北畠顕信であり、攻める北朝勢の総大将は、足利一族で奥州管領の吉良貞家でした。
山頂には土塁に囲まれた20メートル四方ほどの千人溜まりという枡形を擁する星ヶ城と長平城があり、東の尾根続きには空堀が切られています。
頂上からの眺めが最高の宇津峰山
頂上からの眺めは最高!
宇津峰山にはいくつかのハイキングコースがあります。
中腹には公園があり、桜や紅葉の時期は特におすすめです。
また、山頂近くには『御井戸の清水』と呼ばれる清水が湧き出しております。
なお、「御井戸の清水」のすぐ近くまでは、車で行くこともできます。
南北朝時代に激戦地となった宇津峰城跡
山頂近くの「御井戸の清水」
田村神社(たむらじんじゃ)
国道49号沿いの田村町山中地区にある、大同年間に創立されたといわれる神社です。
田村神社は、大元帥明王を祀る霊山とされ、明治までは「明王山」あるいは「お山」と呼ばれていました。
本殿には、県の重要文化財になっている厨子や鳥居派の大絵馬などが奉納されています。
厨子(ずし)は、全体の様式から安土桃山時代のものと見られています。
坂上田村麻呂が大元明王を祀った田村神社
田村神社厨子(ずし)
作風の素晴らしさは県内屈指。
この厨子には大元帥明王が安置されています。
絵馬「三国志三傑図」
この「三国志三傑図」は浮世絵師鳥居派の作品として美術的にも非常に貴重な絵馬といえます。
蒔絵「神馬図額(まきえしんめずがく)」
この絵馬は、小形ですが、福島県内に現存する絵馬では最も古いものに属しています。このほかにも、田村神社には
- 田村神社本殿・脇社々殿
- 絵馬「佃島南望之図」
- 絵馬「大江山図」
- 延宝八年検地燈籠
- 絵馬「繋馬図」
- 算額
- 絵馬「鎮西八郎為朝図」
といった文化財があります。なお、見学をしたい場合は、田村神社(電話024-955-2630)まで事前にお問い合わせください。
田村神社(郡山市観光協会サイト)へのリンク<外部リンク>
磨崖三十三観音(まがいさんじゅうさんかんのん)
磨崖三十三観音(郡山市観光協会サイト)へのリンク<外部リンク>
磨崖というのは、自然の岩壁を利用して文字や図像を刻んだもので、ここには33の観音像が彫られています。
明治時代に編さんされた『田村郷土史』によると、1773(安永2)年、大供村にたちの悪い病気が流行したため、村の庄屋である熊田宗右衛門が藤田友右衛門や藤田亦右衛門たちと相談して、死者の冥福を祈り、あわせて村人の健康安全を願うため、西国三十三観音をここの岩壁に刻んだとのことです。
ザクの磨崖三十三観音(ざくのまがいさんじゅうさんかんのん)
通称権現山の山頂部は、露出する花崗岩の巨石が林立し、その露出部の直立面を利用して、磨崖線彫りにて西国三十三観音が立像・坐像の姿態で刻まれ、1番から33番まで巨岩の威容の中を巡拝するという観音霊場信仰の場として伝わっています。
草深い山間村落に中世的信仰の形態を強く残し、近世に続いた阿武隈山系信仰圏の中で、真言宗系に属する三十三霊場は類例が少なく近世宗派活動の資料価値のうえからも、稀有な庶民信仰の遺跡です。
守山城跡(もりやまじょうし)
守山城跡には、二ノ丸と三ノ丸との間に、幅25メートルの堀跡が残されており、堀跡には、長さ70メートル、高さ6メートルにわたって石垣が積まれています。石の積み方は、大小の自然石を積み上げる「野面積み(のづらつみ)」という方法が用いられています。この石垣は、1591(天正19)年から1609(慶長14)年までの間に構築された石垣であると考えられ、織豊期の特徴を有する貴重な遺構となっております。石垣をはじめとした遺構の変遷には戦国期から江戸期にいたる城郭の発展過程が如実に表されており、東北地方の戦国史、城郭史を考える上で重要な遺跡であることから、平成28年12月1日、郡山市指定史跡として指定されました。
蝦夷穴(えぞあな)
古墳時代(7世紀)の後期に造られた「横穴」のお墓で、がけ面に穴を掘って遺体を埋葬した。
装飾として埋葬された大刀なども見つかっており、現在13基まで確認されています。
小川の蝦夷穴(郡山市観光協会サイト)へのリンク<外部リンク>