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西田町の地名の由来
昭和28年に公布された町村合併促進法の交付により誕生しました(当時:西田村)。
高野村と逢隈村は、昭和30年1月19日に合併促進協議会を結成、関係住民の公募により田村郡の西端に位置すること、また、郡内随一の米の産地であることから「西田村」に決定しました。
こぼれ話
平安時代初期、日本の歴史上最初の征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂にまつわる伝説が西田地区にはいくつか残されています。
例えば、「鬼生田(おにうだ)」の地名は、田村麻呂に追いつめられた鬼が田の中に鬼の子を捨てて逃げたので、村人が育てると、毎日庭先で大石と遊んだ。この石を鬼石と呼び、鬼の子が捨てられていたので、「鬼生田」の地名がついたという。
また、西田町高柴には、田村麻呂が建立した京都清水寺の僧延鎮の作った百個の木馬が本物の馬百匹に化し、苦戦していた田村麻呂を助けたという伝承を基に、それを模して高柴木馬いわゆる三春駒が作られるようになったともいわれています。
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