本文
地名の由来
昭和31年9月1日、町村制施行により田村郡御館村と宮城村が合併して「中田村」が誕生した。新村名は、村民の公募により決定することとなり206名の村民が応募、109の村名が候補に挙がった。協議の結果、最も票数の多かった「中田村」が新村名に決定した。
なお、応募結果は、中田村16票、宮舘村14票、御宮村13票、東田村7票、御城村6票などで、少数意見としては、緑村、花園村、黒石村、鶴石村などがありました。
本文
昭和31年9月1日、町村制施行により田村郡御館村と宮城村が合併して「中田村」が誕生した。新村名は、村民の公募により決定することとなり206名の村民が応募、109の村名が候補に挙がった。協議の結果、最も票数の多かった「中田村」が新村名に決定した。
なお、応募結果は、中田村16票、宮舘村14票、御宮村13票、東田村7票、御城村6票などで、少数意見としては、緑村、花園村、黒石村、鶴石村などがありました。