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「2024ナガサキへのメッセージ」オンライン写真・原爆パネル展
本市の戦時中のエピソード
日東富久山工場の硫酸工場
保土ヶ谷工場
郡山市は、軍需生産都市であり、軍都指定を受けていた関係もあり、昭和20年4月12日、米軍の爆撃機B29のべ150機が郡山に飛来し、工場地帯と民家街の広範囲に約1,500個の爆弾を投下しました。
その後、2回にわたる空襲によって被害はさらに拡大し、市内の死者は530人を超えました。
また7月29日には原爆投下の実験として、広島や長崎に原爆を投下した同じ部隊のクルーにより、模擬原爆が2発投下され、39人の命が奪われており、原爆投下で命を失った被爆者と同じように、原爆開発に伴う犠牲者が本市にもいるといえます。
オンライン写真パネル展
中学生長崎派遣事業の様子
郡山市では、1984年6月の核兵器廃絶都市宣言に基づき、平和を考える市民の集い実行委員会を組織し、次代を担う若者による平和の尊さや核兵器使用の悲惨さと、その廃絶の必要性の認識を目的に感受性豊かな中学2年生延べ1,000名を被爆地である長崎市などに派遣してまいりした。
派遣した中学生は、純粋な感受性で実に多くのことを感じ、毎年、報告会で自らの言葉で平和を訴えてきました。
このページでは、2024年度派遣団員が撮影した写真と書き留めた想いをお伝えします。
※御紹介する写真の中には、負傷した様子など犠牲者の写真が含まれます。敬称は省略させていただきます。
『平和への折り鶴』郡山市立日和田中学校 2年 猪股 歩華
現在の城山小学校児童が作成したものです。「平和への願い」が子どもたちへ受け継がれています。
『子どもたちの学び場を奪った原爆』郡山市立行健中学校 2年 本名 翔真
この写真は、爆心地から西方500mにあった旧城山国民学校です。子どもたちの命、学びの場は、たった1つの原爆で失われたのです。
『忘れないために』郡山市立明健中学校 2年 鈴木 康平
この碑は、原爆落下中心地に立っています。ここに落ちたということを忘れさせないための大事な目印になっています。
『原爆の悲惨さと平和の大切さ』郡山市立安積中学校 2年 森 紗那
この木は被爆しながらも、他の木と支えあって生きてきました。私はこの木を通して、過去と向き合い、それを未来に繋げることが大事だと思いました。
『一部が残った浦上天主堂』郡山市立安積第二中学校 2年 伊東 郁陽
原爆には、大きくて頑丈な建物でさえ壊してしまう威力があります。そんな核兵器を世界から少しずつ減らしていきたいです。
『水を求めて』郡山市立三穂田中学校 2年 野田 采里
あぶらが浮いている水を飲んでしまうほど、のどが渇いている少女。今ではありえないことです。誰もが安心して過ごすことができる世界が続くことを願います。
『倒壊する前の山王神社』郡山市立逢瀬中学校 2年 石井 航瑠
この写真の左側は原爆で倒壊する前の山王神社です。倒壊する前の山王神社の鳥居は綺麗な状態でした。
『忘れてはいけない』郡山市立片平中学校 2年 佐藤 瞳
この11時2分に止まった時計は、原子爆弾の存在や悲惨さを忘れないよう同じ時間を指し続けています。平和な時間は当たり前ではありません。大切にしましょう。
『浦上天主堂』郡山市立喜久田中学校 2年 本田 輝
キリストの教会、浦上天主堂。前庭には、被爆した聖人像などがあり、原爆の威力を感じさせる場所でした。
『爆風の怖さ』郡山市立熱海中学校 2年 後藤 月奈
原爆にはすごい力があります。爆風はものすごい速さで建物を壊す力があります。建物を粉々にしたり、形を変形させてしまいます。
『表情』郡山市立守山中学校 2年 佐藤 心乃
母と子の表情を見てください。この表情から、戦争は、人の全てを奪うだけなのだと思います。だから、この世界から戦争と核をなくすべきです。
『79年後の学校からの景色』郡山市立高瀬中学校 2年 仁井田 稜士
この写真は、城山小学校から撮った写真です。原爆によって焼け野原になった場所がここまで復興し、平和を感じられる景色です。
『折り鶴の数以上の願い』郡山市立郡山第一中学校 2年 山口 翔乎
様々な国や地域から届けられた折り鶴があります。79年経った今も、折り鶴の数以上の、たくさんの方が平和を願っています。
『平和が続く未来を願って』郡山市立郡山第二中学校 2年 木村 壬桜莉
この像は子どもが平和を希求して立ち上がる姿を表しています。戦争の恐ろしさと平和の尊さを世界が忘れないで欲しいと私は願っています。
『この場所で起きたこと』郡山市立郡山第三中学校 2年 西山 遥大
いつもの家庭がそこにあったはずでした。あの日、たった一発の原子爆弾で家族、友達、日常、何もかも消え去ってどこかに行ってしまいました。
『楽しみだったお弁当』郡山市立郡山第四中学校 2年 柳沼 眞結
爆心地近くで被爆した堤郷子さんの遺品です。楽しみだったものを一瞬にして奪う核兵器の威力。誰がこんなことを想像できたでしょうか。
『平和への第一歩』郡山市立郡山第五中学校 2年 石垣 凛空
核兵器は生活に絶大な影響を及ぼします。「平和」に近づくには戦争を学び、周知させることが必要です。この悲劇が二度と起きないよう次世代に告げ、知らせていきましょう。
『過去の長崎を知る~原爆資料館にて~』郡山市立郡山第六中学校 2年 渡邊 采音
原爆投下後の長崎市の街並みや、人々に与えた悲惨な被害の様子を表すパネルが展示されています。原爆の被害の生々しさが伝わってきます。
『大浦天主堂』郡山市立郡山第七中学校 2年 遠藤 暖心
この写真は、日本一古い教会として知られている大浦天主堂です。この建物はとても歴史を感じる素晴らしい建物です。しかし、このような美しい建物も、原爆投下により損傷した歴史を持つことを忘れてはいけません。
『核兵器の脅威』郡山市立緑ケ丘中学校 2年 齋藤 凜香
木が直立しているのは、真上から爆風を受けたからです。もう、こんな景色を実際に見る人がいない世界にしないといけないと思います。
『平和祈念像に込められた想い』郡山市立富田中学校 2年 星 温斗
この平和祈念像のポーズにはそれぞれ意味があります。右手は原爆の脅威、左手は平和、右足は原爆投下直後の静けさ、左足は救った命を表しています。
『平和の鐘』郡山市立大槻中学校 2年 太田 有咲
爆心地から約500mのところにあった城山小学校では、たくさんの人が亡くなりました。平和を祈って鐘が設置されています。
『3つの願い』郡山市立小原田中学校 2年 景山 陽向
3つの輪は、『大きな希望』、『広い心』、『深い愛』の願い、『下の葉』には平和を支える全人類の手で緑の自然を永久に残す意味が込められています。
『繋がれていく平和への思い』郡山市立宮城中学校 2年 宗像 奏佑
原爆が長崎に落とされ、79年たった今でもその影響は残り続けます。こんなことを二度と起こさないために、平和が繋がれていくことが大切です。
『平和公園の千羽鶴』郡山市立御舘中学校 2年 横田 絢美
この写真は、平和公園の千羽鶴です。二度と核兵器が使われないよう、長崎を最後の被爆地にするために、今回学んだ事を伝えていきたいです。
『熱線を受けた石』郡山ザベリオ学園中学校 2年 遠藤 宗介
これは、爆心地から800メートル離れた神社に敷き詰められていた玉石です。熱線を受けて変色している箇所があり、熱線の威力がよくわかる恐ろしい写真です。
『城山小学校のカラスザンショウ』郡山市立西田学園 8年 遠藤 朱莉
この木は、被爆しても尚、根を張り続け、被爆者に生きる希望を与えました。それを想像するだけでも平和の尊さを考えさせられます。
『「誓いの火」の灯火台』郡山市立湖南小中学校 8年 加藤 結愛
「長崎を最後の被爆地にする」という誓いを重く受け止め、核兵器の廃絶と、戦争のない世界に向けて、私も強く訴えていきたいです。
オンライン ミニミニ原爆展
本市は、「全国の自治体、全世界の全ての自治体に、核兵器廃絶、平和宣言を呼びかけるとともに、非核都市宣言を実施した自治体間の協力体制を確立すること」を目的に設置されている「日本非核宣言自治体協議会」の趣旨に賛同し加入しております。
同会からお借りしている「ミニミニ原爆展」の画像データを御紹介します。
被爆の実相をより多くの方に知ってもらうため、被爆後の広島・長崎の様子などの写真とその解説を小スペースでも展示できるようポスターにしたものですので、どうぞ御覧ください。