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「2025ナガサキへのメッセージ」オンライン写真・原爆パネル展
本市の戦時中のエピソード

日東富久山工場の硫酸工場

保土ヶ谷工場
郡山市は、軍需生産都市であり、軍都指定を受けていた関係もあり、昭和20年4月12日、米軍の爆撃機B29のべ150機が郡山に飛来し、工場地帯と民家街の広範囲に約1,500個の爆弾を投下しました。
その後、2回にわたる空襲によって被害はさらに拡大し、市内の死者は530人を超えました。
また7月29日には原爆投下の実験として、広島や長崎に原爆を投下した同じ部隊のクルーにより、模擬原爆が2発投下され、39人の命が奪われており、原爆投下で命を失った被爆者と同じように、原爆開発に伴う犠牲者が本市にもいるといえます。
オンライン写真パネル展
中学生長崎派遣事業の様子
郡山市では、1984年6月の核兵器廃絶都市宣言に基づき、平和を考える市民の集い実行委員会を組織し、次代を担う若者による平和の尊さや核兵器使用の悲惨さと、その廃絶の必要性の認識を目的に感受性豊かな中学2年生延べ1,000名を被爆地である長崎市などに派遣してまいりました。
派遣した中学生は、純粋な感受性で実に多くのことを感じ、毎年、報告会で自らの言葉で平和を訴えてきました。
このページでは、2025年度派遣団員が撮影した写真と書き留めた想いをお伝えします。
※御紹介する写真の中には、負傷した様子など犠牲者の写真が含まれます。なお、敬称は省略させていただきます。
『永井隆の住まい』郡山市立日和田中学校 2年 宍戸 蒼
如己堂は、原爆で負傷した永井隆博士が「恒久平和」と「隣人愛」を伝えるために、白血病と闘いながら執筆に励んだ小さな住まいです。
『像に込められた平和への思い』郡山市立行健中学校 2年 加藤 真琴
この像の右手は原爆が落とされた場所、左手は平和を表しています。戦争、原爆がもたらすのは壊滅であることを忘れないでいきたいです。
『世界三大夜景』郡山市立明健中学校 2年 長谷川 慈
原爆で焼け野原になったという過去、そして、人々の努力があってこの素晴らしい夜景が生まれたことを、忘れてはいけません。
『一本柱鳥居』郡山市立安積中学校 2年 大和田 樹
爆心地から約800mの距離にある、山王神社の第二の鳥居です。もともとは立派な鳥居でしたが、爆風の影響で片方の柱は折れてしまい、さらにもう片方の柱は約15度も傾いています。
『息をひそめる防空壕』郡山市立安積第二中学校 2年 田代 珠々
敵機が去るのを待つ場所。空襲は夜が多いため、暗がりへ避難し、狭い防空壕の中で息をひそめて怯えていました。
『希望の木』郡山市立三穂田中学校 2年 斉藤 柊太
約80年前に被爆したクスノキ。人々にとっての復興の希望となりました。今の長崎があるのはこの木のおかげかもしれません。
『被団協 ノーベル平和賞受賞の横断幕』郡山市立逢瀬中学校 2年 古川 朱音
「世界中で今起きている戦争を一日も早く終わらせ、核兵器をなくす」というとても強いメッセージが、この横断幕には詰まっています。
『永遠の平和を願って』郡山市立片平中学校 2年 七海 豪
このクスノキは、枝を折られ、幹を焼き焦がされても再び新芽を出し、人々に生きる勇気を与えました。クスノキの生命力と力強さから平和を訴え続ける様子が感じとれます。
『長崎の人々の希望と勇気の源』郡山市立喜久田中学校 2年 本田 結万
これは、山王神社にある被爆クスノキです。70年間草木も生えないといわれたが、2ヶ月後再び新芽を芽吹かせ、被爆者に希望と勇気を与えました。
『千羽鶴』郡山市立熱海中学校 2年 牧園 康太郎
平和公園には、原爆が落とされた日である8月9日頃になると平和を願って、千羽鶴が全国各地から寄せられます。
『油の浮いた水を飲むしかない惨状』郡山市立守山中学校 2年 二瓶 瑞基

少女は油の浮いた水を飲むことしかできませんでした。現代では考えられないことです。安心して水を飲める今がこの先も続くことを祈っています。
『平和祈念像のポーズの意味』郡山市立高瀬中学校 2年 遠藤 望央
平和公園にある平和祈念像のポーズには、それぞれ意味が込められています。垂直に高くあげられた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っています。
『もう二度と焼け野原にはしない』郡山市立郡山第一中学校 2年 前澤 勇羽
長崎原爆資料館 所蔵
世界にはまだこれほどの核兵器が残っています。過去の過ちを繰り返さないよう、核兵器廃絶のために今できることをいち早く見つけ、実践していくことが大切です。
『わたしの手とガラス』郡山市立郡山第二中学校 2年 根本 瑛多
長崎原爆資料館 所蔵
爆心地付近で見つかった、人間の手の骨とガラスがくっついているものです。原爆がかなり高温だったことがわかります。
『核兵器のない世の中を』郡山市立郡山第三中学校 2年 堀川 かなえ
長崎原爆資料館 所蔵
核兵器がなくなることを願いながらも、一方では核兵器を増やし続ける国があります。これ以上悲劇を繰り返してはいけないのに・・・。
『被爆してもなお生き続けるクスノキ』郡山市立郡山第四中学校 2年 中原 晴来
このクスノキは被爆し、枯死寸前でしたが現在では青々と茂っています。生命力にあふれている様子から平和の尊さが感じられました。
『爆心地付近の景色』郡山市立郡山第五中学校 2年 藤田 奏
原爆は、住宅街や商店街に落ちたと聞きました。一瞬にして焼け野原になったところが、ここまで復興したことに感銘を受けました。
『被爆しても、壊されても』郡山市立郡山第六中学校 2年 和田 暖仁
原爆によって大きな被害を受けたが、再建された浦上天主堂。そして被爆した石像。今の私たちの平和を考えるきっかけになっています。
『改良され続ける兵器』郡山市立郡山第七中学校 2年 本間 陽菜
長崎原爆資料館 所蔵
これは、第二次世界大戦にて使用された原子爆弾のレプリカです。世界では、戦争に特化した、より殺傷力の高い兵器が生み出され続けています。
『平和のために』郡山市立緑ケ丘中学校 2年 佐藤 圭一郎
平和を祈っている原爆の象徴である像の思い、原爆の被害を忘れずに、また同じことにならないように、平和に生活していきましょう。
『平和の泉』郡山市立富田中学校 2年 上野 茉那
今では考えられないが、石碑に刻まれた言葉を読むと、生きるために精一杯だった状況が分かり、原爆の恐ろしさを改めて実感した。
『今の世界への警鐘』郡山市立大槻中学校 2年 田村 惺那
林 重男氏 撮影 長崎原爆資料館 所蔵
原爆をなくし、長崎を最後の被爆地にするためには、今、核軍拡が進んでいることに対して一人一人が向き合うことが大切だと思います。
『山王神社の軌跡の木』郡山市立小原田中学校 2年 前原 虹

山王神社を訪れました。山王神社にあるクスノキは500年ほどの歴史があります。原爆により一度枯れ果てたクスノキが今こうして力強く生きている姿に心を打たれました。これが長崎の人々の希望です。
『クスノキ』郡山市立宮城中学校 2年 熊田 蘭
爆心地から約800m離れたところで被爆しました。70年は草木が生えないと言われていましたが、再び芽吹きました。その姿に強い生命力を感じました。
『被爆クスノキ』郡山市立御舘中学校 2年 横田 夕乃帆
このクスノキは、当時70年間草木は生えないと言われていましたが、被爆から約2か月で新芽を出したものです。当時の人々の希望となったこの木を大切に守っていきたいです。
『消えてしまった寄進者の名前』郡山ザベリオ学園中学校 2年 木村 真緒
これは爆心地から約800mに位置している山王神社の一本柱鳥居の写真です。原爆の熱線や爆風によって彫られていた名前が読めなくなってしまっています。原爆がどれだけ恐ろしいものなのか改めて感じました。
『平和への祈り』郡山市立西田学園 8年 村上 正悟
長崎原爆資料館 所蔵
原爆資料館に飾られている生け花です。世界中から送られた千羽鶴が使われています。これらには慰霊と恒久平和の祈りがこめられています。
『平和の象徴』郡山市立湖南小中学校 8年 亀山 愛心
この平和祈念像は、右手は原爆の脅威、左手は平和、軽く閉じた優しい顔は戦争犠牲者のご冥福を祈っていることを意味しています。そして、この像は長崎の平和の象徴でもあります。
オンライン ミニミニ原爆展
本市は、「全国の自治体、全世界の全ての自治体に、核兵器廃絶、平和宣言を呼びかけるとともに、非核都市宣言を実施した自治体間の協力体制を確立すること」を目的に設置されている「日本非核宣言自治体協議会」の趣旨に賛同し加入しております。
同会からお借りしている「ミニミニ原爆展」の画像データを御紹介します。
被爆の実相をより多くの方に知ってもらうため、被爆後の広島・長崎の様子などの写真とその解説を小スペースでも展示できるようポスターにしたものですので、どうぞ御覧ください。
















































































