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「2023ナガサキへのメッセージ」オンライン写真・原爆パネル展
本市の戦時中のエピソード
日東富久山工場の硫酸工場
保土ヶ谷工場
郡山市は、軍需生産都市であり、軍都指定を受けていた関係もあり、昭和20年4月12日、米軍の爆撃機B29のべ150機が郡山に飛来し、工場地帯と民家街の広範囲に約1,500個の爆弾を投下しました。
その後、2回にわたる空襲によって被害はさらに拡大し、市内の死者は530人を超えました。
また7月29日には原爆投下の実験として、広島や長崎に原爆を投下した同じ部隊のクルーにより、模擬原爆が2発投下され、39人の命が奪われており、原爆投下で命を失った被爆者と同じように、原爆開発に伴う犠牲者が本市にもいるといえます。
オンライン写真パネル展
中学生長崎派遣事業の様子
郡山市では、1984年6月の核兵器廃絶都市宣言に基づき、平和を考える市民の集い実行委員会を組織し、次代を担う若者による平和の尊さや核兵器使用の悲惨さと、その廃絶の必要性の認識を目的に感受性豊かな中学2年生延べ990名を被爆地である長崎市などに派遣してまいりした。
派遣した中学生は、純粋な感受性で実に多くのことを感じ、毎年、報告会で自らの言葉で平和を訴えてきました。
このページでは、2023年度派遣団員が撮影した写真と書き留めた想いをお伝えします。
※御紹介する写真の中には、負傷した様子など犠牲者の写真が含まれます。敬称は省略させていただきます。
『永井隆先生の名言』郡山市立日和田中学校 2年 安齊 凛成
永井先生は被爆しても市民の命を最優先に行動したことで、多くの市民から愛され、長崎市名誉市民第1号となりました。
『平和への願いを込めて』郡山市立行健中学校 2年 安藤 一伽
これは城山小学校に植えられていた「嘉代子桜」です。これからもこの桜に平和への願いが込められるよう、核廃絶を訴えます。
『核兵器の現状』郡山市立明健中学校 2年 折内 心優
この写真は、各国にある核兵器の数です。現在、保有している国は9カ国となっています。そして、その核兵器の数は1万個以上もあります。次の被爆地を出さないためにも、今を理解することが平和に繋がります。
『奪われた日常』郡山市立安積中学校 2年 古川 隼也
浦上川は、今では日々の生活の一部となっていますが、原爆が投下された直後、大勢の命が失われた場所です。核兵器は、日常を一瞬で奪ってしまう恐ろしい破壊兵器です。
『平和の母子像』郡山市立安積第二中学校 2年 柴原 ひまり
母として戦争へ子をやらぬという思いが込められている像です。あの閃光の下で何が起きていたのか、どんな現状だったのか。考えさせられる像です。
『平和の母子像』郡山市立三穂田中学校 2年 鈴木 新菜
お母さんが子どもを抱きかかえて、子どもを必死で守っています。親と子どもが平和に暮らせることを願っています。
『千羽鶴』郡山市立逢瀬中学校 2年 古川 美玖
この千羽鶴を見て、私は「もう二度と、戦争を起こしてはいけない。そして、核兵器のない平和な世界になってほしい。」と思った。
『幸せな日常を奪った原爆』郡山市立片平中学校 2年 大内 陽
弁当は黒焦げになり、中の物が炭化してしまいました。一瞬にして日常を奪い去った原爆の理不尽さと恐ろしさを感じます。
『永遠の11時2分』郡山市立喜久田中学校 2年 加藤 優奈
原爆が投下された瞬間、時が止まり変わり果てた長崎の地。平和な時間は当たり前ではないのだ。「今」を大切に生きよう。
『食べるはずだったお弁当』郡山市立熱海中学校 2年 藤田 浩輔
この写真は、原爆資料館に展示されていたお弁当です。これから食べるつもりだったものが、一発の原爆で灰になってしまいました。この後笑顔で食べていたかもしれないのに…。
『無差別攻撃』郡山市立守山中学校 2年 石井 皇誠
高齢者、女性、子どもの尊い命を無差別で奪う。家の下じきになって亡くなったり、顔に火傷を負ったり、心や体に大きな傷を負わせる。悲しい現実をもう二度とくり返してはならない。
『その意思を次世代へと』郡山市立高瀬中学校 2年 伊藤 涼世
原爆投下の影響で亡くなった林嘉代子さんの母親によって植えられたソメイヨシノは、今も戦争の悲惨さ、残酷さを伝えています。
『三つの輪』郡山市立郡山第一中学校 2年 山口 雄奨
三つの輪は、大きな希望・広い心・深い愛、下の葉は、平和を支える全人類の手であり、緑を残すという意味が込められている。
『病床で執筆活動を続けた永井隆博士』郡山市立郡山第二中学校 2年 十林 櫂
自身も被爆しながら救護活動をした長崎医大の永井隆博士。病床でも最期まで「原子病と原子医学」についての研究に努めた。
『少年の像』郡山市立郡山第三中学校 2年 佐久間 美和
爆心地からおよそ500mの、城山小学校内にある少年の像。モデルは当時6年生だった男子生徒だそうです。鳩を腕に止める力強い立ち姿から、平和への確かな想いを感じました。
『被爆によって破れた。』郡山市立郡山第四中学校 2年 七海 聖恋亜
この写真は被爆を受けた人が着用していた衣服です。肌が見えるほど破けている様子から恐ろしい威力だったと分かるでしょう。
『爆風の恐ろしさ』郡山市立郡山第五中学校 2年 菅家 琴芭
大きな建物までも吹き飛ばしてしまうほどの爆風。工場で働いていた人や多くの尊い命が一瞬で奪われました。もう二度と恐ろしい光景を見たくない見せたくないと思いました。
『核の恐ろしさ』郡山市立郡山第六中学校 2年 七海 弥麻人
この写真に写るのは「平和の母子像」です。子は怯え叫んでいるように見え、母は不安そうに子を抱き守っています。この像は核の恐ろしさを示しているように見えます。
『ナガサキの空』郡山市立郡山第七中学校 2年 川島 璃子
この写真は、被爆した旧城山国民小学校と現在小学生が通う新校舎の間から見えた青空です。これが78年前のあの日は黒一色だったのです…。時の流れを感じる2つの建物の間から望むナガサキの青空は、とても綺麗でした。
『恒久平和と隣人愛の精神・如己堂』郡山市立緑ケ丘中学校 2年 原田 陽仁
永井博士の「なんじの近き者を己の如く愛すべし」という信念と願いを広め、人々が手を取り合い、笑顔溢れる世界を作っていきたいです。
『平和を願う気持ち』郡山市立富田中学校 2年 佐藤 雪乃
折り鶴を折った一人ひとりの気持ちが美しい姿となっていました。幾重にも重なる鶴のように、平和を願う気持ちも後世に繋げていければと思います。
『生命の水』郡山市立大槻中学校 2年 紺野 煌斗
原爆で水を求めながら亡くなった方々の冥福と平和を願い作られた「平和の泉」です。被爆者のつらい状況を思うと胸が痛くなります。
『私たちに残してくれた理由』郡山市立小原田中学校 2年 景山 里桜
これは、被爆遺構の一部です。先人たちは私達に戦争や原爆の悲惨さを知ってもらい、平和を大切にしてほしいと願ったと思いました。
『平和への一歩』郡山市立宮城中学校 2年 熊田 菜々美
この写真は、爆心地公園にある浦上天主堂の遺壁です。近くで実際に見ると、熱線と爆風の影響でボロボロになっています。原爆では人も場所も壊れてしまうことを実感しました。もう何も失わないように、核兵器根絶の大切さを伝えていきたいと思います。
『平和の象徴』郡山市立御舘中学校 2年 滝田 梨乃
像のポーズには意味があり、右手は原爆の恐ろしさ、左手は平和、横にした足は原爆投下後の静けさ、立てた足は救った命を表し、閉じた目は犠牲者の冥福を祈っている。
『私たちが今できる平和に向けて』郡山ザベリオ学園中学校 2年 木村 美結
私たちは戦争の原因について考えた上で、私たちができる平和に向けての行動を考えました。私たちにも今すぐできることがあります。
『11時02分で止まった時計』郡山市立西田学園 8年 石井 勝
11時02分に止まった時計は、あの日のことを忘れるなというように同じ時を示し続けています。
『みんなが幸せな暮らしを』郡山市立湖南小中学校 8年 増子 佳穏
このとても綺麗な景色が戦争中では見られなくなります。この景色が見られることが平和だと思いました。
オンライン ミニミニ原爆展
本市は、「全国の自治体、全世界の全ての自治体に、核兵器廃絶、平和宣言を呼びかけるとともに、非核都市宣言を実施した自治体間の協力体制を確立すること」を目的に設置されている「日本非核宣言自治体協議会」の趣旨に賛同し加入しております。
同会からお借りしている「ミニミニ原爆展」の画像データを御紹介します。
被爆の実相をより多くの方に知ってもらうため、被爆後の広島・長崎の様子などの写真とその解説を小スペースでも展示できるようポスターにしたものですので、どうぞ御覧ください。