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喜久田町の歴史

ページID:0002617 更新日:2021年12月2日更新 印刷ページ表示

宇倍神社

喜久田町内に鎮座する宇倍神社社殿の外観

郡山市は、明治時代、国営第1号の開拓事業として認定された「安積開拓と安積疏水の開さく」の成功により飛躍的に発展してきました。安積開拓のために、全国9藩から旧士族、約2,000人が郡山に入植しました。ここ喜久田町には、鳥取藩から鳥取開墾社(鳥取藩士族が創立)が中心となって、広谷原に入植し、開拓しました。開拓は、想像を絶する厳しいものでした。

国(鳥取)を想う入植者の方々が、入植者の心の拠り所として建立したのが、この『宇倍神社』です。時代は過ぎて、平成7年、消失したはずの鳥取藩の安積開拓の資料が鳥取女子高校(現・鳥取敬愛高校)の社会部の皆さんにより、この宇部神社の書庫から奇跡的に発見されました。これを機会に、鳥取市と喜久田町の旧鳥取士族の子孫の方々をはじめとした民間の交流が活発に行われてきました。

そして、平成17年11月25日、鳥取市と郡山市は姉妹都市となりました。

国を想う心が子孫に脈々と引き継がれ、その想いをずっと見守ってきた地元の絆の象徴である「宇倍神社」が鳥取の女子高校生による奇跡的な歴史的発見を導いたのではないでしょうか。

 

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