本文
幻の花「花かつみ」の里安積山
「みちのくのあさかのぬまの花かつみかつみる人に恋ひやわたらん」
『古今和歌集』
[歌の意味]
みちのくの安積の沼の花かつみの名の、かつみというように、かつがつに不満足ながら、ともかくも、ちょっと逢ったばかりの人なのに、心に恋しく思って、永く月日を暮らすことであろうか
この歌により、「花かつみ」は陸奥国の安積の沼の名物となり、多くの歌が読まれるようになりました。
元禄2年5月1日(西暦1689年6月17日)松尾芭蕉と曾良は、「奥の細道」紀行でここ安積山を訪れました。
「安積山」は、「万葉集」や「古今和歌集」に詠まれている歌枕として有名で、芭蕉はここで「「花かつみ」を尋ね歩きました。
「奥の細道」には、次のように記されています。
「等窮が宅を出て五里斗、檜皮(ひはだ)の宿を離れてあさか山有。路より近し。
此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。…」
花かつみには、古より諸説があり、幻の花とされ、松尾芭蕉も花かつみや安積沼を人々に尋ねまわりましたが、知る人がいなかったと書いています。
明治9年6月17日、明治天皇の東北巡幸のさい、日和田の安積山の麓、横森新田のご休息所で、花かつみを「菖蒲に似て最(いと)些小(ちいさ)き花」なるヒメシャガを花かつみとして天覧に供しました。
以後、「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定されました。
今も奥羽街道の面影が残る松並木
松尾芭蕉
元禄2年(1689)、弟子の曾良を伴って5か月以上にわたる『奥の細道』紀行へ。郡山には4月下旬ごろに入りました。芭蕉はここで、古今集にも詠まれた「花かつみ」を探し歩いたと言われていますが、残念ながら見つけることはできませんでした。
株式会社郷土出版社発行「図説郡山・田村の歴史」より
安積山公園の入口
地元の方々が植栽をし、花かつみ(学名:ヒメシャガ)の里となっている安積山公園
公園内にある奥の細道の碑
安積山公園の案内図
公園に隣接してある日和田野球場
今も「花かつみ」に惹かれて多くの人々が訪れています。