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地名の由来
「郡山」の地名の由来は、律令制当時の地方行政の仕組みにあります。
大宝元年(701年)中央政府は、『大宝律令』と呼ばれる基本法典を制定し、その中で全国を60余りの国に分け、その下に郡と里を置く「国郡里制」という地方行政の仕組みを完成させました。715年には、里を郷に改め、「国郡郷制」に変更されました。これを現代に当てはめると、国(都道府県)~郡(市町村)~郷(市町村の大字)の関係にあたります。
国には「国府」、郡には「郡衙(ぐんが)」と呼ばれる役所が設置され、国府には中央の上級役人が国司として派遣され、郡衙には地元の有力豪族がその任につきました。当時の福島県は宮城県と岩手県南部とともに「陸奥国」に属し、その中でも現在の郡山市・田村市・田村郡・安達郡を含む地域を「安積郡」と呼ばれていました。
陸奥国府は現在の宮城県多賀城市に、安積郡衙は郡山市清水台にそれぞれ設置されたことが遺跡等の調査でわかっています。
この安積郡衙があった周辺が「郡山」と呼ばれていた時期があり、それが現在の「郡山」の地名のおこりと思われます。