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「もういくつ寝るとお正月♪」をふと思い出す月になりました。今年も多くの国際的なイベントが本市で開催されました。8月7日から11日にビッグパレットふくしまで開催された「国際天文学連合アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議」もその一つです。
この国際会議は、ふれあい科学館の初代名誉館長である松本零士先生の後任として御就任いただいた渡部潤一先生の御尽力により、本市での開催が実現しました。秋篠宮皇嗣妃殿下御臨席の下、私も地元首長として国内外から来郡された研究者の皆様に、歓迎の御挨拶を申し上げました。「この会議は福島ルネサンスを告げる会議です。」と。
天文学にちなみ、曜日に「?」を見つけました。月曜( 月 )、火曜(火星)、水曜(水星)、木曜(木星)、金曜(金星)、土曜(土星)、日曜(太陽)と、太陽系の惑星由来の名前が使われていますが、我々が住む地球は曜日に登場していません。「何でかな~?」です。
ついでながら地球について。先述の国際会議の会場で地球儀を購入しました(孫へのプレゼントです)。それを眺めて、また素朴な疑問。地球における大気との接点は海面と陸地ですが、地球の表面積の約70%は海面が占めます。つまり、表面積からすれば地球より「水球」では?しかも表面は凸凹のある地表ですから、球ではなく洋上に浮かぶ地塊(テレーン)と。
さて、来年は郡山市制施行100周年の年。市民お一人お一人は全く異なる時期、環境の中で生を受けました。思いは様々、皆それぞれの100周年の郡山を迎える事になります。どうぞよいお年をお迎えください。皆様の御活躍が来年も「地上の星」とならんことを願います。
先月号で関東大震災の話題に触れました。来年の市制施行100周年を前に当時の記録を少しでもと、こおりやま文学の森資料館の特別企画展「郡山が生んだ偉大なるエンサイクロペディスト(※)石井研堂」を訪問(12月3日まで開催)。
学芸員の方に「関東大震災の記録は?」と伺ったところ、「石井研堂」(山下恒夫 著)を紹介いただきました(さすが学芸員)。同書によれば研堂先生の名著「明治事物起原」(上下2巻21類3182項目1500頁)に震災の目撃談があるほか、先生作の「震災番付」が飛ぶように売れたとのこと。企画展の開催中に改めて原典に当たります。
また福島民友新聞10月2日の特集記事に「関東大震災100年」。特に避難者の動向分析が記載されていました。詳しくは同紙面をお読みいただくこととして、概要を紹介しますと、当時、国は震災直後、鉄道運賃を無料とし、避難者の大規模な移動を後押し。2か月後の11月15日には、国による避難者の全国一斉調査を実施。避難者の氏名、住所、職業、避難先、被災状況などを詳細に調査。翌年には震災調査報告としてまとめており、福島県には1万4741人が避難したとのこと。
一方、同紙面には、東日本大震災との対比記事も掲載。「東日本大震災 把握進まず」との見出しで、避難者が避難先の自治体に氏名などを登録する「全国避難者情報システム」への登録が進まず、周知が課題とのこと。
関東大震災発生時の日本は、吉幾三さんの歌詞ではありませんが、テレビも車もスマホも「ナンニモネェ」時代。現在では、記録機器は数多あるものの、大事なのは情報を把握し記録する「心技体」と実感した次第です。
※百科の学術に広く関心を向けた知識人
「政治はコトバ」と言いますが、これは洋の東西を問わず「御意」です。
最近特に気になっている言葉は「線状降水帯」です。雨雲の映像を見ると、「線状」ではなく「帯状」降水帯のようです。逆に、病気の「帯状疱疹」も神経に沿って発症するので、こちらこそ「線状」疱疹では?
ついでに八つ当たりを許していただくなら「脱炭素」という言葉。正確には「脱炭酸ガス」(※)、化学式でいえば「脱CO2」とすべきではないでしょうか?もっともCO2が大きく減少した場合、地球の歴史が示すところでは、地球は温暖化どころではなく極寒の天体に逆戻りとの説も。また、動植物は炭酸ガスを吐き出すので、CO2を完全になくすことはできません。「脱炭素」、「カーボンニュートラル」ではなく、「CO2ニュートラル」と言ってほしいものです。
話変わって天から地に。今年の9月1日は関東大震災から100年目。1923年9月1日午前11時58分にマグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲いました。そしてその翌年の9月1日は郡山の市制施行日。
当時の郡山は如何に、と年表を見ると震災の影響と思われる記録はなく、今日のような対口支援を行った記録もありません。むしろ現在も残る礎や積極的な市民活動が記載されています。
ラジオは1925年3月22日9時30分放送開始ですから、当時の郡山で震災の様子を即座に知る由もなし。しかし140年前に開業し、当時既に欠かせないものとなっていた東北本線の列車ダイヤにどれほどの乱れが生じたのか?歴史年表の一つひとつの出来事に思いをはせながら市制施行100周年を振り返ってみてはいかがでしょうか。
※炭酸ガスは、学術的には「二酸化炭素」という
暑いというより「熱い」夏が終わり、ようやく秋風の月になりました。近年では気候変動時代にふさわしく、四季ならぬ二季の時代になってしまったのでしょうか。まさに暑いか寒いかの「二分法」の時代。季節も0か1かのデジタル時代に倣うかのようです。
世の中、そして人生は二分法です。「生か死か、それが問題だ」と言った悲劇の主人公ならずとも、「起床するか寝続けるか」、「出勤するか休むか」などなど、我々はそれと意識することなく、二者択一による決断と実行が連続する日々を過ごしています。人生とはまさにデジタル也です。
我々は、質・量の違いはあっても一定の情報を得て適切な判断を行おうとしています。現在は、ネットの力を借りれば容易に数多の情報が得られますが、一方でキラリと光るダイヤの情報を見つけることが苦労する時代になりました。しかし、そもそも情報を表現する十分な文字、数字、記号がない時代に、我らが祖先はいかにして日々の決断・実行を行ってきたのでしょうか。
「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んだ平安時代の歌人は正確な地図があったとは思えない時代に、いかにして旅に行くか行かぬかの決断ができたのか?またスマホがない時代にどうやって自分の居場所が分かったのか?古文の授業で使われた旅行記、旅日記の作者は、なぜ命がけの旅に出たのか?我らが采女様、静御前様、萩姫様は道を誤ることなく、いかにして郡山の地に到着できたのか?Whyは難しいとしてもHowが知りたいところです。
新幹線で郡山~東京を往復するたび、謎が深まる秋の日々です。
「八月は夢花火」。楽しい思い出より、夏休み終了間際の宿題に冷汗をかいた少年時代がよみがえります。
さて、先月のコラムで「NHKラジオの英語講座にチャレンジ」と書かせていただきました。「え?」との感想も寄せられましたが、これは業務上の必要性と、ますます変化する児童生徒の学習内容を私自身が体験学習するための修行です。
講座では和訳説明があまり無く、次々と英文が流れます。発音が聞き取れず、後でテキストを見ながら「え?」が度々あります。テキストは、児童生徒同士、先生と児童生徒、親子間の会話がほとんどですが、聞き取るためには、その場面を想像する力も必要となります。
学習をする中で思うことは、今、話題のAI(人工知能)の進歩で英語教師は不要になるとの説もありますが、果たしてそのような事が可能か否か、また望ましい事なのか、思案のしどころです。
そもそも、日本人が本格的に外国語(中国語)に接したと思われる奈良時代において、わが祖先はいかに外国人と対話し、交流し、その言葉を翻訳したのか。頭が下がり、また驚異でもあります。
雪の研究で有名な中谷宇吉郎先生は、旧制中学校の英語の教科書を丸暗記して留学試験に合格したと自伝に記されました。
また、本市ゆかりの歴史学者、朝河貫一先生は、英語辞書を丸暗記したと伝えられております。
こうした偉人は別として、書籍はおろか紙もままならない奈良時代に、外国語の単語をいかにして日本語の文字、言葉として広く共通化したのか。
謎は深まるばかりですが、Practice makes perfect(習うより慣れろ)。
That’s all for today(今日はここまで)
夏休みの季節になりました。思えば、この三年間は新型コロナの感染症対策に明け暮れた日々でしたが、ようやくマスク着脱も個人判断となり、あちらこちらでご尊顔を拝する事ができるようになりました。これまでは「眼は口ほどに物を言う」アイコンタクトの三年間でしたが、今年はポストコロナのノーマル夏休みをお楽しみ下さい。
さて、コロナ明け(慎重に)で心境の変化ではありませんが、このたび、NHKラジオの英語講座の聴講を決意しました。そもそも、市内には約千人の外国人の方がお住まいですし、私自身も外国の方と交流する機会が増えております。そこで一念発起、通訳の方のお力を借りることなく、スムーズな会話ができることを期待してのことです。しかし、振り返ってみますと、これまで何度三日坊主に終わったことか…。
思えば私が学生時代の英語の授業は、リスニングも発音の練習も少なく、当時は和文英訳、英文和訳、文法学習の六年間だったと記憶しております。それが今ではコミュニケーション能力が求められ、高校・大学入試にリスニング試験もあります。筆記のみの試験対策を行ってきた世代としては、現代中高生にグッドラック!また、教師の方々も、ご自身の中高時代とは相当異なる英語の授業をなさっていると拝察し、敬意を表します。
ラジオの英語講座に話を戻しますと、こちらも以前とは様変わり。昔は専ら聞き役でしたが、現在では何度も音読を求められます。また、放送もNHKラジオ第二放送のほか、NHK―FM、さらにはスマホのアプリでどこでも学習が可能です。
七十の手習い、今度は三日坊主で終わらないぞ!
皆様、母の日にはカーネーションをプレゼントされましたか?(私は子の代理で致しました)
さて、とある日の公用車中の出来事。「あの花の名は?」と私。「市長、〇〇です」と同乗の秘書が即答。「あなたの趣味は草花鑑賞?」と尋ねると、「いえ、スマホで写せば名前が出てくるアプリで調べました」とのこと。以来、花を愛でる都度、アプリで確認しています。
しかし、これらアプリの要となる人工知能(AI)にも苦手はあるようです。今話題のチャットGPT(対話型AI)に「郡山市の将来人口の推移は?」と聞いてみたところ、「複数要因が影響するような予測はできない」との回答でした。AIも今のところドラえもんの「四次元ポケット」から出てくるひみつ道具のように、どんな要望にも応えてくれるものではないようです。役目柄DX関連の動向はつぶさに追っていますが、前評判通りにはいかないこともあるようです。
メタバース(ネット上で交流などができる仮想空間)や、チャットGPTも、今のところ前評判、期待とは異なるパワーを発揮している状況です。質問に対する回答は既存の情報を学習して行われていますから、新発見、新回答はあり得ないのでは?と考えています。「未知との遭遇」はあり得ず、「傾向と対策」は示されても「無い物ネダリ」には応えてくれないのではないでしょうか。プロセスイノベーションはあってもプロダクトイノベーションを期待するのはやめたほうがよいでしょう。
「どんなに技術が進んでも人間の知能と生命を超えることはできないと教わりました」とは小林元治日弁連会長の、ある読書感想からの引用です。
五月といえばゴールデンウィーク、そして母の日。母の日は毎年五月の第二日曜日。母の苦労をねぎらい、感謝を表す日とされ、今年は十四日。そこで、今月は母の字と母について一言、二言。
「母」の字は重みがあります。母が付く言葉は、母校、母港、母船、母集団、分母など枚挙にいとまがありません。「母の歌」、「母なる大地」、「母なる自然」などの使い方もあります。英語ではマザーインダストリー(「母親産業」と和訳)、マザーグース(イギリス童謡)、マザーマシン(「機械を作る機械」)と、マザーを冠する語が多数。
それに比べて「父」が付く言葉は「父兄」、「神父」など少数。英語のファーザーを冠する語は「ゴッドファーザー(「名付け親」)ぐらいでしょうか?それどころか「父は永遠に悲壮である」とは詩人の萩原朔太郎の格言(トホホ…)。
一方、法律の分野に目を移しますと、母子保健法、男女雇用機会均等法、労働基準法、女性活躍推進法、男女共同参画社会基本法など、偉大なる母を支える法律が多数あります。
もとより、これら諸法が日本国憲法(五月三日は憲法記念日!)第三章の諸条項、特に第十四条、第二十四条などを遵守することを前提としていることは言うまでもありません。何事も法によるべき公務員の一人として、母の日に思いを巡らせても法律の下に考え、行動(モノ書き含む)することになりました。
結びに、今は亡き父母に言及することをお許しいただくならば、父逝きし二十歳の冬の緊張感、母逝きし七年前の秋、幼き日からの年々の追憶と感慨は今も新た。もってカーネーションの添え書きとします。
早春賦(作詞・吉丸一昌、作曲・中田章)の日々も終わり、入学・入社式の時季を迎えました。ピカピカの一年生、立派にご成長の一年生の皆さま、心からお祝いを申し上げます。
市役所でも新卒者を中心に新しい仲間を迎えました。最近は四月採用に限らず、ベテラン企業人には年度途中でも仲間入りしていただいています。
思えば、1970年前後までは集団就職の時代で、四月は巣立ちの月であるとともに、別れの月でもありました。私の母校、郡山第五中でも同期卒業生の半数は集団就職で遠く郡山を離れました。
昨今のいわゆる東京一極集中は多数の集団就職の延長で、今に始まったことではありません。
また、以前は出稼ぎという社会移動もありました。今は冬期の仕事も地元で就かれていますが、当時は農閑期にも大きな社会移動がありました。
集団就職時代から50年近く経た今も東京一極集中という名の集団就職(進学)は続いています。
これは数字にも明らかで、県内13市中、本市、福島市、本宮市以外の18歳人口は軒並み17歳人口より少なくなっています。
新幹線が走っても、マイカーが一家に一台以上になっても、高速道路が整備されても、空路が整備されても、スマホが普及しても(というより、それが故か)、このトレンドは変わりません。
これは、気候変動や国際情勢、南海トラフ地震の可能性からみても、国の長期安定のためには決して放置できることではありません。
初任給をアップし、DXを普及させ、空調をグレードアップし、MaaS構築も進め、ベビーファースト郡山を目指しましょう。
新年度予算議案提出の月になりました。
時間軸は2050年、2040年、2030年、2025年からバックキャスト。プラットフォームはSDGsをOSとして、7レイヤーで組み立てます。各部局はアプリケーションとしての事務事業を作成します。これがDX田園都市予算の骨組みです。
しかし、法律、条例、各種計画(国県含む)の多くが、DX以前から改正されておらず、予算化・事務事業化のプログラミングには工夫が必要です。現行諸法のほとんどが昭和20年代に立法され、ガラケー(携帯電話)もない、まさに「もはや戦後ではない」という時代以前に立法されているからです。木に竹を接ぐ事態にあります。
時代の変遷と言えば、音楽の世界も環境激変です。音楽が電磁波に乗ったのはウェブで検索すると1900年代初頭との記載がありました。初のステレオ放送は1925年12月、イギリスBBCによる試験放送をもって嚆矢とします。
ベートーヴェンもリストもバッハも皆、マイクもステレオもスピーカーも、それこそ(吉幾三ではありませんが)「何も無い」時代に、あの「運命」も「田園」も「第九」も作曲くださいました。電波はもとより、音波の物理学的研究皆無の時代に、舞台と客席だけのホールで演奏され鑑賞されました。
「弘法筆を選ばず」、「ヴィルトゥオーソ(イタリア語で演奏の達人)もホールを選ばず」でした。ピアノ製造会社のスタインウェイは1853年創業ですから、ステレオもマイクロフォンもない時代に製造。「スタインウェイもホール選ばず」です。
デジタル環境での演奏ニューノーマルはこれからです。
十二月・一月号でご紹介した各月の「今日は何の日?」は他紙にお譲りし、今回はまず、「NRI未来年表2023~2100」(野村総合研究所グループ)をご紹介いたします。今年から2100年までに予定されている出来事が政治、経済、国際の分野ごとに整理されています。ちなみに、2100年には日本の人口が5千972万人になると記載されています。
さて、「今・此処」に戻って、昨今のお話。
今年の元旦各紙は例年以上に現実主義。特に若い世代の記事が印象的でした。Z世代に加えてα世代の記事が新聞紙面をにぎわしておりました。少子化で陰々滅々と思いきや、青雲の志、ファーストペンギン、青年客気の面々。「少数精鋭は、少数になると精鋭になる。と読む」との説に拍手です。「負うた子に教えられ」は往年の話で、負うまでもなくネット世代は時空超越(サイバースペースの日本語)を独立独歩。
私も負けてらんネ。と正月休暇はTVも放送大学(BS放送)を視聴。番組から推測するに、年齢不問で向学心やまぬ方々に対して、最新の研究動向の学習機会提供番組もあれば、アメリカ西部劇映画「シェーン」(名台詞「シェーン、カムバック!」)の放送もあります。
講義番組では板書はありませんが、パソコン画面に要点やプログラムが表示されます。必死にノート筆記の必要もありません。既習学科の復習にも、全く未習ながら現在・将来必要になりそうな知識の習得にも有益です。放送大学卒業の講師もおられると伺っております。“gifted”の小中学生の受講生もいるかもしれません。
正月休暇は「生涯学習力」維持向上の良き伴侶との一週間でした。
二度新年の御挨拶の紙面をいただき、今年も明けました。4ページの御挨拶のキーワードは「自治力」、「生涯学習の精神」、そして「開物成務」。はじめの二つは、法律のタイトルから引きました。「開物成務」は、特に今年は不可欠のキーワード。国際情勢からも、国内情勢(特に電子帳簿保存法、インボイス制度導入、マイナンバー本格施行)からも、です。
さて、今月も「今日は何の日」を調べました。一月で一番記念の多い日は10日。「110番の日」をはじめ30個あります。
このうち、毎月の記念日ですが、10日は「Windows10の日」。何をすればよろしいのでしょうか。また「キャッシュレスの日」でもあります。23日は「電子メールの日」で、制定から来年で30年になります。
今年のコラム始めは、今更と言われそうですが、チコちゃん風に「なぜ?」を二つ。
一つ目の「?」は雲。好天が続き青空に雲がまさに天才(「災」ではありません。)でさまざま。西洋絵画では、雲が画面いっぱいの絵が多数ありますが、なぜか日本や中国の絵画では、雲の写実画はあまり見かけません。「雲は天才である」(石川啄木)、「東京には空が無い」(高村光太郎)、「おうい雲よ磐城平の方まで」(山村暮鳥)など、詩文には良き題材ですのに。
次の「?」はオーケストラの楽器の種類数。小6音楽の教科書では、管楽器はクラリネット、トランペットなど木管・金管合わせて12種類、弦楽器はバイオリンなど4種類。一方、打楽器はティンパニ、シンバルのほか時代や楽曲に応じて数に限りなし。管・弦・打の楽器の種類数の差はなぜ?
この二つの「?」が今年の初夢ならぬ初疑問。