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郡山ゆかりの偉人たち

ページID:0003386 更新日:2021年12月2日更新 印刷ページ表示

郡山の偉人

安積 艮斎(あさかごんさい)

江戸幕府最後の勘定奉行の小栗上野介や吉田松陰<外部リンク>高杉晋作<外部リンク>岩崎弥太郎<外部リンク>といった幕末から明治の動乱期に活躍した人物たちに、多大な影響を与えた思想家。

中條 政恒(なかじょうまさつね)

中條政恒(なかじょうまさつね)の画像

郡山の発展の礎となった「安積開拓(あさかかいたく)の父」

中條政恒の情熱が人々に開拓者精神を呼び起こし、日本最初の国営開拓事業でもある「安積開拓と安積疏水(あさかそすい)の開さく」を成功へと導きました。

ファン・ドールン

ファン・ドールンの画像

明治政府の招きにより明治5年に来日したオランダ人の技術者。猪苗代湖から郡山へ水を引いた安積疏水の開さくの水路コースを考えた人物。安積疏水は、日本三大疏水の一つです。

朝河 貫一(あさかわかんいち)

朝河貫一(あさかわかんいち)の画像

世界的に有名な歴史学者。1936年に日本人で初めてアメリカのイェール大学教授に就任しました。1942年同名誉教授。

また、アメリカと日本の戦争を防ごうとルーズベルト大統領の昭和天皇あての親書を送る運動を進める等、民間人外交官としても活躍。

鈴木 信教(すずきしんきょう)

鈴木信教(すずきしんきょう)の画像

明治初期、如宝寺で住職を務めながら、寄附に頼らず自費で孤児や貧しい子どもを寺において養育した。「みちのくの良寛様」、「生き地蔵さま」と呼ばれていた。約200人の子どもたちを救った郡山の社会福祉の父。

雪村 周継(せっそんしゅうけい)

雪村筆の屏風の一部(郡山市立美術館所蔵)
雪村周継筆「四季山水図屏風」

室町時代後期から戦国時代を代表する禅僧の画僧です。現存する作品だけでも約200点が確認されていて、その中には、国の重要文化財に指定されている作品もあります。晩年を三春の戦国大名・田村氏の領内に過ごし、郡山市西田町にあるその庵跡には現在も雪村庵が残っていて、桜の季節には、美しい桜が咲き誇ります。郡山市立美術館では、1対の屏風を所蔵しています。

郡山ゆかりの文学者

久米 正雄(くめまさお)

久米正雄の画像

東京帝国大時代に芥川龍之介や菊池寛が親友。芥川龍之介と一緒に夏目漱石の門人になっただけでなく、「新思潮」を共に発行。鎌倉ペンクラブの初代会長。

宮本 百合子(みやもとゆりこ)

宮本百合子の画像

中條政恒の孫娘。安積開拓を描いた「貧しき人々の群」を執筆し、プロレタリア文学で活躍。

石井 研堂(いしいけんどう)

石井研堂の画像

多くの少年少女向け雑誌を執筆し、当時の少年少女たちの探究心を養い、知的啓蒙に尽くしました。代表作「明治事物起源」は、現在も明治文化研究のバイブルとまで言われています。

高山 樗牛(たかやまちょぎゅう)

高山樗牛(きょぎゅう)の画像

現・安積高校の一期生。思想家・評論家として活躍。現在も安積高校の成績優秀な卒業生には、高山樗牛にちなんだ樗牛賞が送られている。

代表作「滝口入道」

鈴木 善太郎(すずきぜんたろう)

鈴木善太郎の画像

チャペック「ロボット」などの戯曲を翻訳し、演劇の発展に貢献しました。

諏訪 三郎(すわさぶろう)

諏訪三郎の画像

郡山を舞台とした作品「大地の朝」がベストセラーとなりました。

中山 義秀(なかやまぎしゅう)

中山義秀(ぎしゅう)

「厚物咲」で芥川賞を受賞。他にも麓山公園を題材にした「残照」などを執筆。

真船 豊(まふねゆたか)

真船豊の画像

代表作は、方言をせりふに取り入れた「鼬(いたち)」、ラジオドラマ「なだれ」など

東野辺 薫(とうのべかおる)

東野辺薫の画像

教職のかたわら、小説「和紙」を執筆し、芥川賞を受賞。

3人の芥川賞作家を輩出

安積高校(旧制安積中学)<外部リンク>は、中山義秀・東野辺薫・玄侑宗久<外部リンク>(げんゆうそうきゅう)という芥川賞作家を輩出している。同一校からの3人の受賞は東京都に2校あるのみで、実に稀有な例です。

高山樗牛を第1期生に持つ同校は、他にも久米正雄や鈴木善太郎が学んだことでも知られており、長く郷土の文学界を支えて来ました。

こおりやま文学の森資料館<外部リンク>では、上記の文学者にまつわる貴重な資料を見ることができます。