ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 政策開発部 > 広聴広報課 > 郡山市はこんなまち

本文

郡山市はこんなまち

ページID:0003391 更新日:2023年5月23日更新 印刷ページ表示

駅前を空撮した写真

福島県の中央に位置し、東北地方で仙台に次いで第2位の経済規模を誇る東北の拠点都市であり、中核市です。

首都圏から東北新幹線で約80分というアクセスの良さに加え、鉄道や東北・磐越自動車道が縦横に交差するなど、交通の利便性が高いことから「人」「モノ」「情報」がつながり、交流する「経済県都」「知の結節点」として成長を続けています。

そして、2024年9月1日には市制施行100周年を迎えました。

 

郡山市の位置の画像

郡山市の紹介ビデオ

郡山市の歴史や音楽、グルメや観光などの魅力を紹介し­ています。安積黎明高校合唱部や郡山第二中学校管弦楽部の演奏も­必見です!

安積開拓と安積疏水のまち

十六橋水門の写真

1924年の誕生以降、東北有数の経済都市として発展してきた郡山市。その発展の礎には、先人たちの尽力による安積開拓と安積疏水の開さくという挑戦がありました。

人々の暮らしが困窮を極めた戊辰戦争の後、広大で不毛な原野を見た県の典事・中條政恒は「この原野を耕し、桑を植え、養蚕を営めば人々が豊かになる」と開拓を訴えました。

1873年に現在の開成山一体である大槻原の開拓がスタート。この動きに賛同した阿部茂兵衛ら25人の商人は、同年「開成社」を結成。次第に起動に乗り始めた開拓を、さらに安積野全域に拡大すること、そして灌漑用水を猪苗代湖から通水することを国に掛け合い、約4000町歩もの原野を開拓する国営開拓事業第1号の安積開拓、そして安積疏水の開さくが始動したのです。

尽力したパイオニアたち

開成社の写真

中條政恒をはじめ「開成社」の商人、地元の人々、全国から移住した9藩2000人もの士族…。多くの開拓者が力を結集したものの、それまでの痩せた土地を潤沢にするには時間を要しました。

技術力も低く、農作物の収穫量は低いままだったため、土地を手放す人も。それでも希望を捨てず、苦難に立ち向かい、新たな大地を切り拓きました。

猪苗代湖から注がれる恵みの水

ファンドールンの写真

一方、安積疏水の開さくは1879年にスタート。オランダ人土木技術者ファン・ドールンの水路選定のもと、工事には延べ85万人が動員され、1882年に完成しました。

幹線水路52キロメートル、分水路78キロメートルものスケールで猪苗代湖から注がれる水は、安積開拓で開墾された土地を潤し、あらゆる恵みをもたらしました。

拓かれた大地と水から郡山の発展が始まる

郡山駅前広場の写真

安積開拓による大地の開墾、安積疏水の通水により農地が拡大され、生産量が大幅に向上。疏水を利用した水力発電所も建設され、日本初の長距離高圧送電に成功しました。

さらに工業用水と電力の確保で製糸・紡績業などの工業も発展。

これらが郡山の礎となり、全国有数の農業都市・工業都市へと成長を遂げたのです。

音楽のまち

多くの市民の働きかけで実現した戦後のNHK交響楽団講演を皮切りに、1958年当時東北一の設備を誇る市民会館の誕生、日本最大規模の野外ロックコンサートの開催など、音楽と市民の想いはハーモニーとなり、いつの時代も受け継がれています。

楽都郡山のはじまり

20万人コーラス運動の写真

敗戦後に迎えたのは困窮の時代でした。明治から戦前にかけて急激に工業都市として発展し、各地方からの流入が増えた郡山市は、抗争が絶えず、荒廃した雰囲気がありました。

一方、市民による美術や演劇、音楽などの団体が立ち上げられ、人々は音楽に表現の自由を求めていきます。音楽による戦災復興、これが郡山市民の心の拠り所となり、東北のウィーンと呼ばれるほど、さまざまな音楽会が開かれるように。2008年に音楽都市を宣言して以降も、楽都郡山として多くの人々を魅了する音楽が鳴り続けています。

学生が奏でるハーモニー

安積黎明高校合唱部の写真

音楽都市・郡山を語る上で欠かせないのが、若い世代の活躍。

安積黎明高校は、全日本合唱コンクール全国大会で1980年から2013年の34年連続で金賞を受賞。(2014年10月15日現在)最高位となる文部科学大臣賞を通算24回受賞しています。

ほかにも郡山第二中学校の管弦楽部、郡山第五中学校の合唱部、橘小学校の弦楽アンサンブル、安積中学校の合唱部などが各コンクールで日本一に輝いています。

郡山から発信する音

ピアノベンチの写真

まちには音符や楽譜をモチーフにしたベンチやイスが並び、郡山で結成されたアーティストGReeeeNに関連した扉や手形、足型が見られます。

近年では郡山出身のクリエイティブディレクター箭内道彦さんが主催する音楽イベントも大盛況。市内外から多くの人々が集まります。

また、がくとくんバンドやご当地アイドルせせらぎ小町など、新たなジャンルの音楽も誕生しています。

経済のまち

たくさんの、「人」「モノ」「情報」が活発に行き交う郡山市は、南東北地方の中核都市として発展を続けています。全国各地へのアクセス性に優れ、経済県都として充実した都市基盤など、魅力は尽きません。

全ての方向に快適に

郡山ジャンクションの空撮の写真

郡山市は地理的な条件に恵まれ、全国的にも優れた交通網が発展する街。郡山と首都圏を結ぶ「東北新幹線」、と東北自動車道と磐越自動車道が交差する「郡山ジャンクション」、札幌や大阪への移動をスムーズにする「福島空港」など、鉄道や道路、空路など重要な交通網がそろい、人・モノ・情報が活発に行き交っています。

さらなる発展を続ける経済県都

中央工業団地の写真

郡山市内にある西部第二、北部、中央などの工業団地には、製造や研究開発、物流情報などの国内産業の発展を支える多様な企業・機関が進出。

インターチェンジや主要道路へのアクセスに優れ、高い生産環境をサポートします。

充実の機関や施設が企業をフォローアップ

インキュベーションセンターの写真

県内企業の研究開発支援を目的とする公設試験研究機関「福島県ハイテクプラザ」をはじめ、職業能力開発、大学などと連携した新製品の研究開発を行う支援機関があります。

また、大規模な展示会をはじめ、イベント、国際会議、学会、研修など幅広いニーズに適応した「ビッグパレットふくしま」などのコンベンション施設も充実。

訪れた方を受け入れる宿泊施設も万全です。

やみつきグルメが満載のまち

ラーメンの写真
ラーメン

郡山市はラーメン激戦区。ご当地ラーメンをはじめ、各々のラーメン店がこだわりを追求し、バラエティ豊かな味を提供しています。

あさか舞の写真
あさか舞

郡山市内で生産された「コシヒカリ」と「ひとめぼれ」の一等米が「あさか舞」です。しっかりとしたうまみと粘りが特徴な生産量、食味とも全国トップクラスのお米です。

阿久津曲がりネギの写真
阿久津曲がりねぎ

明治時代から阿久津地区周辺で栽培されている伝統野菜。一度斜めに植え替える独自の栽培方法が、甘みと柔らかさを生んでいます。

鯉の写真
郡山の鯉

郡山市は、全国有数の鯉の生産地。歯ごたえを楽しめる「あらい」やうまみが凝縮された「うま煮」など、調理法によって多様な味わいに出会えます。

クリームボックスの写真
クリームボックス

分厚くて小ぶりの食パンに、ミルク風味のクリームをたっぷりと乗せた菓子パン。市内のパン店やスーパー、学校の購買などで購入できるローカルフードです。

グリーンカレーの写真
こおりやまグリーンカレー

郡山市の新名物。四季の野菜をふんだんに使用し、各店ならではの趣向を凝らしたユニークなカレーを提案しています。

郡山の日本酒の写真
郡山の酒

米どころの郡山はお酒の種類も豊富。地元の蔵元で丹念に作られる純米酒やたまご酒、芋焼酎、そして東北唯一のウイスキーなど個性豊かな味が楽しめます。

郡山の梨の写真
特選郡山梨

梨の産地として100年以上の歴史を持ち、幸水・豊水・二十世紀などを栽培。ジューシーで、12.5度以上の糖度の高さが魅力です。

うねめ牛の写真
うねめ牛

肉質等級4以上の黒毛和種雌牛がうねめ牛に認定されています。リブロースやサーロインなど、どの部位も柔らかく甘みに優れた霜降り肉です。

職人の技が生きるまち

三春駒の写真
三春駒

日本初の年賀切手の絵柄に採用された郷土玩具。「デコ」はこの土地特有の呼び方で、木彫りの人形をさします。

張子人形の写真
張子人形

江戸時代元禄年間から約300年続く職人たちが継承してきた張子人形は、何枚もの和紙を重ねて作られています。

海老根伝統手すき和紙の写真
海老根伝統手漉和紙

江戸時代から始まった中田町海老根地区の和紙漉き。阿武隈山系にあったこうぞと湧き水から生まれました。

関連リンク